阪神左腕投手で歴代6位となる通算55勝を挙げている。暗黒時代の左腕エースとして2度の開幕投手に3度の2ケタ勝利にノーヒットノーラン達成など、獅子奮迅の働きだった。そのサウスポーに当時を振り返ってもらった。 取材・構成=椎屋博幸 写真=BBM 
2度の開幕投手を任されるなど暗黒期の左腕エースとしてチームを支え続けた湯舟
ラッキーゾーン撤廃が転機に
「天地会」という会が阪神OB会にはある。1985年、球団初の日本一からわずか2年後の87年に同じメンバーで最下位となったからだ。ここから常に最下位争いをするチームとなった。その中で、91年にドラフト1位で入団した左腕。社会人野球からプロ入りで即戦力として期待されて入団。チームの若返り策もあり、先発陣の中心投手になっていった。 私が入団した1991年は、一軍先発として回っていた左腕投手は、マイクさん(
仲田幸司)、猪俣(
猪俣隆)さんの2人ぐらいだったと思います。球団はこの時期、若手に切り替えていこうとしたシーズンでした。ドラフト1位で取ってもらい、球団の方針もあり一軍で使ってもらえた環境にあったので、ラッキーでした。
一軍打者の最初の印象も強烈でした。右中間、左中間を破られたかな、と思った打球がグングン伸びていってスタンドに放り込まれました。あれで本塁打になるのか! と。当時の社会人では金属バットを使用していたので、金属のほうがすごいだろうと思っていたのですが、やはりプロ野球の打者はすごいなと感じましたね。その1年目は先発ローテーションには入りましたが、二軍に落ちたり、調子を落としてリリーフに回ったりした記憶があるので、一年間頑張ったという思いはなかったですね。(5勝11敗)
その中で、特に92年は、野手も若手に切り替わっていったシーズンでした。亀山(
亀山努)、新庄(
新庄剛志)が出てきて、新人では久慈(
久慈照嘉)が入って遊撃手のレギュラーになった。加えてラッキーゾーンを撤廃したことも大きかったですね。甲子園の外野守備エリアが広くなり、足が速く強肩の外野手が必要になったときに、若い2人が出てきて起用されたのです。
左翼に八木(
八木裕)さん、中堅に新庄、右翼に亀山。この3人だと左中間、右中間の打球がまあ抜けなかったですよ。だからピッチング内容も少し変わったと思います。91年のときよりも・・・
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