長く続いた暗黒時代から常勝猛虎へと移り行く2000年代前半。02年から5年連続開幕投手を務め、その間、2度のリーグ優勝に貢献した。平成のスーパーエースに、当時の軌跡とともに、現在の左腕の柱である高橋遥人についても聞いた。 取材・構成=椎屋博幸 写真=BBM 
2002年から5年連続2ケタ勝利を記録。18年ぶりのリーグ優勝を遂げた03年は沢村賞、MVPなどタイトルを総なめにした絶対的なエースであった
危機感を胸にした2001年
高卒4年目の2001年に先発ローテ入りし、29試合に登板。翌02年からはエースとしてけん引し14勝、03年は20勝5敗という圧倒的な数字を残し18年ぶりのリーグ優勝に導いた。02年から5年の完投数は8、8、6、2、8と、先発すれば、長いイニングを投げ切った、まさに絶対的存在だった。入団当初は故障を抱えていたが、2年目にチェンジアップに出合い、人生が大きく変わった。 1998年に入団した当時、
阪神はなかなか勝てない状況でした。左腕投手だと先発では湯舟(
湯舟敏郎)さんだけが主戦だったと思います。一方で、中継ぎ陣は多く遠山(
遠山昭治)さん、田村(
田村勤)さん、弓長(
弓長起浩)さんがいらっしゃいました。
その後、球団は
ダレル・メイ、
ダグ・クリークなど外国人左投手を獲得し、補強していた印象です。私の入団時にはもう仲田(
仲田幸司)さんは
ロッテに行かれていたので「先発左腕がいないよなあ」という印象はありました。2000年オフに湯舟さんが近鉄へ。このとき先発の左投手が私のみの状態になって、正直、これはまずいと本気で思いました。一方で「自分がやらなきゃいけない」と危機感を抱いていたのも事実です。
私自身、高卒でケガ持ち(腰痛)で入団したので、プロ1年目は体力づくりなどが
メインでした。当時のピッチングコーチが古沢(
古沢憲司)さんで、育成は御子柴(
御子柴進)さんでしたが、投げ込みもないですし、細かい投球フォームの指導はされた記憶はありません。
当時の高卒ドライチ左腕では安達智次郎さん(93〜99年)が在籍していましたが、一軍登板の機会がありませんでした。そうしたチーム事情もあり、先発左腕には枠があったのかなと思います。2年目に、そのチャンスが巡ってきました。チェンジアップという武器を手に入れたのが、その2年目。春季一軍キャンプに呼ばれると、八木沢(
八木沢荘六)さんがピッチングコーチで、ブルペンで投げ込みをしているときです。いきなり「チェンジアップ投げてみろ!」と。
言われたときはびっくりしましたが、実は投げてみたかった球種でした。新人時代というのは、二軍戦で自軍の投手が投げている試合中にバックネット裏でチャートを書くのも仕事の一つになります。このとき、ほかのピッチャー、例えば山村(
山村宏樹)さんはチェンジアップを投げていたのですが、簡単にストライクが取れるんです。これはいいなあ、と思っていたところでした。
実際に投げてみると、自分の感覚にすごく合いました。握りも八木沢さんに教わったままでしたので・・・
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