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阪神タイガース特集 猛虎・先発左腕の輝き!

【煌めく猛虎サウスポーたち】江夏豊 阪神時代に貫いた先発左腕の美学「投げてくれと言われたら意気に感じた。それだけ阪神で優勝したかった」

 

ここからは縦縞を支えてきた往年の名投手を紹介する。「阪神の先発左腕」で真っ先に思い浮かぶのが江夏豊である。「守護神」のイメージを持つファンもいるだろうが、自身は「阪神での先発投手」時代に、強い思い入れがある。タイガース在籍9年間の通算成績は424試合、159勝113敗14セーブ、防御率2.42だった。
文=飯尾哲司 写真=BBM

「先発完投」は当たり前の時代。チームの勝利のため、来る日も来る日もマウンドで奮闘し続けた


巨人入団の可能性も!?


 ドラフト会議は1965年第1回から数えて61年を数えるが、江夏豊が指名された第2回の66年秋のドラフトは9、11月の2度開催された。その第1次で江夏は、阪神、巨人、東映、阪急の4球団に1位指名され、阪神が交渉権を獲得した。江夏は阪神のお膝元である兵庫・尼崎市出身だが、抽選の結果次第では「巨人・江夏」誕生の可能性もあった。

 それにしても前年の第1回ドラフトで鈴木啓示(兵庫・育英高→近鉄。プロ1年目の66年10勝)を指名するはずだった阪神は、石床幹雄(香川・土庄高。右投げ。通算1勝)に方向転換。もしもそのまま鈴木を指名獲得していたら、阪神は2年連続で高校生左腕の江夏を指名しなかったかもしれない。

 江夏はプロ1年目の67年、42試合29先発、12勝13敗、230回1/3を投げ、225奪三振(リーグ最多)、88与四球(リーグ最多)だった。参考までに25年最多勝・最多奪三振の村上頌樹(阪神)は、26試合26先発、14勝4敗、175回1/3を投げ、144奪三振である。ちなみに67年のセ・リーグ新人王は121安打、打率.299、3本塁打の武上四郎(サンケイ)が受賞した。

 指が短く、唯一の変化球カーブはろくに曲がらず、ほぼストレートだけなのに、高卒1年目でいきなり最多奪三振のタイトルを獲得したのは驚異だ。ちょうど一回り上で、大卒7年目で初めて獲得した最多奪三振のタイトルをさらわれた村山実は、弟分だった江夏をライバル視して、口も満足にきいてくれなくなった。

 当時の左投手は右打者の膝元を攻める「クロスファイヤー」が投球の基本だったが、被本塁打が多かった(27本)江夏は、カウント球も勝負球も外角低めに変更。それが江夏の代名詞でもある「アウトロー」の由来だ。

 江夏は入団以来、実に20勝4度を含む9年連続2ケタ勝利、6年連続奪三振王だ。現在のようにシーズン143試合制で「1週間に1試合先発」の時代ではない。クライマックスシリーズもなく、リーグ優勝が決まったら、残り10試合は「消化試合」で登板しない。

 つまりシーズン130試合どころか、正味120試合で300イニングを投げていた。現在の規定投球回の2倍以上だ。江夏いわく「それでこそエースだった。現在はエースと言うよりも、単なる『主力投手』に過ぎない」。江夏は現役時代をさらに述懐する。

「今でこそ『先発』『中継ぎ』『抑え』の役割分担があり、リリーフでメシを食える。当時の一流投手は『先発完投』型。語弊はあるが、やはりリリーフは『投手の落ちこぼれ』『二流』であり、先発を任されない投手がやっていた。だから、のちにおっさん(南海・野村克也監督)に『リリーフ転向』を打診されたときは、ショックだったし、寂しかった。当初はおいそれと首を縦に振れなかった」

 さかのぼれば江夏は・・・

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