猛虎のサウスポー伝説に大きな足跡を残した一人だ。伝説の剛腕・江夏豊がトレードで去ったあとの猛虎を支えた。先発で投げたと思えば、抑えでも登板する。築き上げた登板数は700を数えたまさにレジェンドであった。 文=寺尾博和(日刊スポーツ) 写真=BBM 
当時、先発に抑えにとチーム事情に合わせてマウンドに上がり続けた山本和行。それだけチームにとっては必要な左腕だった
金田正一に憧れ
実働17年。通算700試合登板で116勝106敗、130セーブ。初勝利は新人だった1972年7月5日の
巨人戦(札幌)だ。
同じ左投手の
高橋一三との投げ合いで、9回を投げ抜き、計34人の打者にキレの良いストレートとカーブ、大学時代に習得したフォークの組み立てで、8安打2失点で乗り切った。
試合後の
金田正泰監督代行が「まるで息子を見守っているようだった」と目尻を下げたのは、脈々と流れた熱血漢ぶりを垣間見てとったからだろう。
2点リードの7回無死一、三塁のピンチのときにできたマウンドの輪の中で、山本は交代のタイミングをうかがう金田監督代行に言ってのけた。
「どうせ1点とられてもいいなら僕に任せてください」 ルーキーらしからぬ向こう意気の強さは・・
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