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夏に輝いた伝説の高校球児 甲子園アイドルの記憶

【対談】荒木大輔×定岡正二 甲子園の魅力と魔力、人生を変えた夏を語る

 

一つの大会が終わったときに、すべてがガラリと変わっていることがある。1974年、鹿児島実のエースとして延長15回を投げ抜いた定岡正二。1980年、高校1年生ながら早実を準優勝に導いた荒木大輔。ともに大会前後で取り巻く環境が一変した。甲子園の魅力と魔力を味わった二人が、思い出の大会を振り返る。
取材・構成=楊順行 写真=BBM

荒木大輔、定岡正二[右]


テレビを動かした一戦


──定岡さんの甲子園というと、なんといっても1974年夏、鹿児島実が東海大相模と延長15回を戦った準々決勝を思い出します。

定岡 原(原辰徳)が1年生で、外角低めに投げれば打ち取れるだろう……と投げたら、初回にいきなり2点タイムリーです。昭和の時代だから、高校生なら真っすぐとカーブしかないんだけど、アウトローに真っすぐが決まれば、あんまり打たれた記憶がない。だけど原は届いちゃったんですね。いいバッターだなと思いました。原には結局、6打数3安打されています。

荒木 定岡さんには申し訳ないんですが(笑)、当時私は小学生であの試合を見ていて、原さんに、相模のタテジマにあこがれました。

定岡 そもそも相模は一番から九番までみんなフルスイングしてきて、さすが優勝候補という感じで、こつこつミートする鹿児島とは違う。当時の鹿児島といえば、1回勝つのがせいぜいで、しかも自分たちは県内でも四、五番手の存在でしたから甲子園には出るだけでもうけもの。まず1勝することが目標で、県民も喜んでくれるだろう……だけど準々決勝でも、延長15回でウチが勝っちゃうんですよ。当時の久保(久保克之)監督が言うには、「あの試合がもとで、NHKが全試合を完全中継するようになった」らしいですね。

──当時の中継(総合テレビ)は、試合途中でも午後6時55分で打ち切りだったんです。ところがあの熱戦は視聴率が34%。途中打ち切りには抗議の電話が殺到し、NHKは急きょ、定時の7時のニュース終了後に中継を再開したんですね。これが思わぬ好評だったため、翌75年からは総合テレビと教育テレビのリレー方式で完全生中継を行うようになりました。

定岡 あ〜、やっぱりインパクトのある試合だったんだね。

荒木 すごい試合だったことは記憶にありますが、中継が終わっていたんですか。僕は初めてその年に甲子園に行っているんです。調布リトルの関西遠征の帰りに見学したんですが、高橋慶彦さんがピッチャーだった東東京の城西の試合を見た記憶があります。そのあとも4歳上の兄が出た78年も、家族で応援に行きました。

──荒木さんはお兄さんも早実。定岡さんも、お兄さんが鹿実ですね。

定岡 3歳上の兄(智秋)が鹿実で甲子園に行けなかったからその分も──というとカッコいいけど、中学生のころ久保監督が家に来たとき、バッタリと玄関で会ってね。「弟か。野球やってるなら、君も鹿実に来て」(笑)。もともと鹿商(鹿児島商業)に行きたかったから、あの出会いがなければ、いまこうしているかどうか……。荒木は身近に甲子園を感じられただろうけど、自分にとって甲子園は漠然としたあこがれに過ぎなかったからね。

──定岡さんは、2年生の夏も代打で甲子園の土を踏んでいます。

定岡 その経験があったので、雰囲気にのまれることはなかったですね。ただ・・・

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