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夏に輝いた伝説の高校球児 甲子園アイドルの記憶

斎藤佑樹(早実)インタビュー 『ハンカチ王子』の真実「なぜ、そこに注目するんだろうというのが、正直な思いでした」

 

エース・斎藤佑樹を擁する早実は、2006年春のセンバツで準々決勝敗退。最後の夏に向けて取り組んだのが、軸足を沈み込ませて投げる新フォームだった。球威がアップし、西東京大会を勝ち上がると、甲子園では決勝再試合を含む7試合をほぼ一人で投げ抜き、初の全国制覇。948球の熱投もさることながら、ポケットに忍ばせるハンカチを使用する所作に注目が集まり、社会現象となった。あの夏から20年。当時の喧騒(けんそう)を振り返る。
取材・構成=岡本朋祐 写真=BBM

夏の甲子園の暑さは尋常ではない。大会期間中、マウンド上でハンドタオルを使用する姿から、いつしか「ハンカチ王子」と呼ばれた。勝ち上がるたび、名門校・早実を背負うエースの人気は沸騰した


今も残る948球目の感触


 2006年8月20日。夏の頂上決戦は初優勝を目指す早実(西東京)と、73年ぶりの夏3連覇を狙った駒大苫小牧(南北海道)との対戦となった。延長15回では決着がつかず1対1。1969年の松山商(愛媛)対三沢(青森)以来、37年ぶりの決勝再試合となった。翌21日の決勝再試合を早実が4対3で制して初優勝。斎藤佑樹は1回戦から7試合をほぼ一人で投げた。センバツは2年生エース・王貞治を擁した57年春に頂点に立っていたが、夏の全国制覇は初。5季連続出場(80年夏〜82年夏)の荒木大輔も届かなかった深紅の大旗を手にしたのだった。

──あの夏から20年が経過しました。率直に思うところはありますでしょうか。

斎藤 長いようで、早いようで、シンプルに考えて、鏡を見て20年前の自分を想像しながら……僕も年相応になってきたなという感じはします。現役を引退し、体も動かなくなりましたが、心はあの夏から変わらないままだと思っています。あれから20年が経過し、時代は変わっても、高校野球の大切さみたいなものは不変ですし、あらためて自分が夏の甲子園で優勝することができたことが、その後の自分の人生において、すごく影響を与えてくれた大切なものだと感じています。

──2006年夏の甲子園。真っ先に思い浮かぶシーンはありますか。

斎藤 夏が到来するたびに映像とかで流れてくるんですけど、あの最後、マー君を三振に取って、ガッツポーズしている場面が一番思い出されるところですかね。

──駒大苫小牧との37年ぶりとなる決勝再試合。9回表二死走者なしから田中将大選手(巨人)を空振り三振に斬って、夏の選手権初の全国制覇を達成しました。こん身の144キロストレートでしたが、その指先の感覚は残っていますか。

斎藤 キャッチャーミットに吸い込まれるボールの軌道も含め、残っているかと言われれば、思い出す感覚ではあります。

──当時の映像を第三者的な視点から見て、ご自身で感じることはありますか。

斎藤 高校野球は日本の文化において多くの国民が熱狂する、インパクトを与えてきたスポーツなのだと、あらためて思います。日本人にとって、高校野球は夏の風物詩。携わった一人として、高校野球が記してきた100年以上の歴史の重みを感じています。

──現状の「1週間500球以内」の球数制限を重ね合わせると、準々決勝から決勝(延長15回引き分け)までの3戦で435球。決勝再試合は118球で3失点完投していますが、当時、同ルールがあれば、65球しか投げられませんでした。

斎藤 そうなんですよね……。ある意味で、僕は運が良かったと思います。

初めて言われた「佑ちゃん」


──決勝再試合という伝説の名勝負がフィナーレでしたが、大会期間中に「ハンカチ王子」という愛称が生まれました。18歳の当事者としては、その現実を受け止めるのは、大変だったと思います。

斎藤 甲子園で優勝し、東京に戻る際に、そこで初めて、自らの置かれた立場というのを実感しました。新大阪駅から新幹線に乗った際にも警備の方がいて、東京駅ではものすごい人の数……。たくさんの方から出迎えをされ、もちろん、初めての経験でしたので、甲子園で優勝するとは、すごいことなんだなと思いました。予想以上にスポーツ報道以外のメディアから取り上げていただき、僕にとっては相当な変化、心も揺れ動いたと記憶しています。でも、その後の人生を考えると、あそこで経験したことが、その後の人生で、プラスに転じていると思います。

──甲子園大会期間中の生活において、戸惑う部分はありましたか。

斎藤 大阪にいるときは、基本的に宿舎と甲子園、練習会場の往復でした。グラウンドではユニフォームを着ており、周囲には仲間がたくさんいて、守られている状況があったんです。宿舎では、リラックスすることに努めました。試合が続いており、体の疲れが相当あったのは事実です。宿舎でゆっくり過ごすのが、オアシスのような時間、そんな感じでしたね。その一方で、東京に帰ってきて、学生服に戻って、一人で学校に通学するという状況になったときは、これまでにない感覚があったのは間違いないです。

──甲子園大会期間中は、各メディアの報道を目にすることはあったんですか。

斎藤 今ほどSNSやネットニュースとかが普及している時代ではありませんでしたが、テレビでは『熱闘甲子園』、スポーツ新聞とかは読んでいましたね。

──各紙の見出しには「ハンカチ王子」「佑ちゃん」が躍っていました。

斎藤 今まで「佑ちゃん」と言われたことはなかったので……。早実の大先輩である荒木大輔さんフィーバー(1980年夏から82年夏まで5季連続甲子園出場)における「大ちゃん」から来ているものがあるんだろうなとは思っていました。さすがに甲子園が終わったら(その騒ぎも)終わると思っていたのですが・・・

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