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夏に輝いた伝説の高校球児 甲子園アイドルの記憶

【あの夏の主役】東邦高・坂本佳一「バンビがいた夏」 正捕手の大矢正成が振り返る1977年夏の甲子園

 

1977年夏の甲子園に彗星の如く現れ、決勝まで駆け上がった。東邦のエースナンバーを背負った“紅顔の美少年”は、“バンビ”と名付けられ、その一挙手一投足にファンが酔いしれた。
取材・構成=牧野正 写真=BBM

愛知大会では背番号10。甲子園では1番を着けて全5試合を一人で投げ切った


ジャージ姿の1年坊主


 大矢正成が捕手になったのは、2年秋の新チームになってからだった。阪口慶三監督から「一緒に甲子園に行こう!」と口説かれて東邦に入学したものの、すぐに部内での不祥事が発覚。1年間の対外試合禁止処分となった。新チームは打てる打者がそろっていた。守備もよかった。問題は投手力。そこに新入部員として現れたのが、坂本佳一だった。

 最初に坂本を見たときのことは今でもよく覚えています。一般受験で入ってきましたから4月の入部。特待生はそれよりも早く練習に参加していますから。しかも普通はユニフォームで参加するのにジャージでした。外野で1年生がキャッチボールを始めたんですが、明らかにジャージの1年生だけ球筋が違っていたんです。「あいつは誰だ?」ということになって、阪口監督が呼んで聞いたら名電(名古屋電気)のセレクションに落ちて来ましたと。中学まで軟式をやっていて、引退と同時に硬式でキャッチボールを始めていたようなんです。中学ではエースでもなくて外野手。それで阪口監督がブルペンで投げさせて、私が受けることになったんですが、今でも忘れませんけど、ホームベースの手前でホップするように伸びてくる。すごい真っすぐで一度はじきました(笑)。

 ただ、まだガリガリだし、ブルペンではすごいですけど、バント処理もけん制もできない。でもそれも時間の問題でした。飲み込みが早くてすぐに習得していった。ほかの誰と比べても間違いなくウチで一番の投手でした。阪口監督が夏は坂本で行こうと決めたのは、おそらく6月の智弁学園(奈良)との練習試合。春の選抜4強でそのフルメンバーを相手に坂本が真っすぐとスライダーで好投しました。1点差で負けましたけど、試合後に智弁学園の高嶋仁監督から「夏はこの1年生で行けそうですね」と阪口監督が言われたようで、それで腹を括ったのだと思います。言ってもまだ15歳の1年生ですからね。迷いもあったと思います。

 僕ら3年生にとっては最後の夏。甲子園には行きたかったですが、正直、名電には勝てないと思っていました。新チームになってから3試合戦って3試合とも負け。その名電と決勝で対戦して6対1ですよ。坂本が1失点の完投勝利。いや大矢捕手も4打点の大活躍だったんですけど(笑)、やはり坂本がいたからこそ勝てた。予選を通じて投げまくり、ほとんど打たれなかった。真っすぐもいい、ウイニングショットのスライダーもいい、でも一番はハート。何しろ肝が据わっている。あんなにかわいい顔をしているのに、緊張したり、びびったり、そういうことはまったくないと言うんです。これが本当に15歳なのかと驚きました。

 坂本がいたから甲子園に行くことができた。これは間違いない。だから僕だけでなく、みんなが坂本に感謝の気持ちを持っていました。妬みなんてまったくありません。それは僕ら3年生が1年生のときに・・・

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