最初は5年、2度目は6年。先頭に立ってドラゴンズを率いた。通算766勝は球団歴代監督最多の勝利数でもあるが、それ以上に、この男が監督だった11年は常にチームに熱があった。愛情とムチを丹精に使い分け、チームを戦う集団へと変貌させた。本気で怒り、心の底から喜び、いつも勝利に飢えていた。 文=館林誠(元中日スポーツ) 写真=BBM 
グラウンドでは常に真剣そのもの。負けること、それ以上に逃げることを何よりも嫌った
監督に必要な3要素
「闘将」。そんな呼び名も令和の時代では死語になりつつあるのだろうか。ビデオ判定の導入で審判への猛抗議はほぼなくなり、死球やラフプレーを巡っての乱闘シーンもすっかり見ることがなくなった。指導法もスパルタ式は影を潜め、選手に寄り添った指導が主流となっている。
「覚悟しとけ!」。金屏風を背にした晴れの監督就任会見。進行役のアナウンサーから「選手の皆さんに何かひと言」とマイクを向けられた
星野仙一が、こんな物騒なメッセージを選手たちに送ったのは今から40年前の1986年のオフのことだ。それがマイクパフォーマンスでなかったことは、今さら説明するまでもないだろう。
当時39歳。戦後生まれで初のプロ野球監督となった青年将校は、2年連続5位のチームをいきなり2位に引き上げ、2年目の88年には2位・
巨人に12ゲームの大差をつけて見事、セ界の頂点に登り詰めた。
ユニフォームは「戦闘服」、グラウンドは「戦場」。一歩、グラウンドに足を踏み入れれば、相手選手との私語は厳禁。ユニフォームに身を包めば現役時代同様、目を吊り上げ先頭に立って相手に挑み、判定に納得がいかなければ審判にだって吠える。そんな星野の激しさは就任会見での“宣言”通り、しばしば自軍のナインにも向けられた。
「技術的なことは、それほどうるさくは言わない。でもバントや走塁など、当たり前のことができなかったり、怠慢に見えるプレーには厳しかったですね」
こう振り返るのは・・・
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