1950年の2リーグ制以降を中心に、リーグ優勝を果たした際の猛虎打線を打順別で考察していく。優勝時には共通点はあるのか!? 個性派ぞろいの猛者たちが織りなす軌跡をたどっていこう。
クリーンアップが打っても走者が塁にいなければ得点は増えない。猛虎打線が猛威を振るうときには、一、二番打者も強力なのだ。その中でも一番は2つのタイプに分かれ、二番打者は典型的な好打者、つなぎタイプが躍動している。 写真=BBM 【一番打者】吉田→赤星→近本と真弓→今岡の2つの系譜
歴代の一番打者は2つのタイプに分けられているようだ。一番打者と言えば俊足好打というイメージがあるが、まさにそのタイプと、豪快な打撃で打線を引っ張っていくタイプだ。
1940年代後半の「ダイナマイト打線」の一番打者でもあった
後藤次男(のちに三番など)は、どちらかというと好打者タイプ。49年には打率3割を打った。36インチ(91.4センチ)の長いバットを使用し初球打ちを得意とした中距離打者だった。
62、64年のリーグ優勝時には、守備の名手で「今牛若丸」と言われた吉田義男が主に入った。入団2年目の54年に51盗塁、56年には50盗塁で盗塁王に。62年、64年も20個以上の盗塁を記録し、64年には打率3割を打った好打者だった。
その後、2000年代に入りこのタイプの打者が優勝時に活躍する。まずは
赤星憲広。03年の優勝時には二番を打ったが、05年は一番に固定され、それ以降09年まで基本的に一番を打った。「レッドスター」というニックネームを付けられ、3年連続60盗塁以上を達成するなど5度盗塁王を獲得した。また03年から3年連続3割以上を記録。2000年代の強い
阪神の象徴的な選手の一人でもあった。
その後・・・
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