自らのバットで得点を生み出し、背中と言葉で後輩たちを押し上げた。近藤健介を中心に広がった好循環が、圧倒的な攻撃力を誇る打線をつくり上げた。悔しさと悲しみを乗り越え、迎えたプロ15年目。リーグ3連覇の中心には、やはりこの男がいた。 文=小畑大悟(西日本新聞社) 
リーグ優勝が決まると、左翼から歓喜の輪へ駆け寄った。優勝の瞬間をグラウンドで迎えたのは初めてだった[写真=牛島寿人]
初めてグラウンドで迎えた歓喜
歓喜の瞬間が訪れると、左翼から一目散にチームメートの元へ駆け寄った。近藤健介はリーグ3連覇に大きく貢献してきたが、優勝の瞬間をグラウンドで迎えるのは初めてだった。2024年は右足首を痛め、松葉づえをついて歓喜の輪に加わり、25年はコンディション不良で出場できなかった。
「2年間、優勝の瞬間はグラウンドにいられなかった。今日は(
小久保裕紀)監督にも気を遣っていただいて、最後まで出してもらいました。3連覇を合言葉に始まったシーズン。苦しいときもあったけど、こうやって笑ってリーグ優勝ができて良かった」
最高の笑顔で胴上げの輪に加わった。
26年は世界一と日本一の「W連覇」を掲げてスタートした。3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)へ向けて打撃フォームを大幅に改造。かつての同僚である
大谷翔平(ドジャース)らとともに、侍ジャパンのユニフォームに袖を通した。
主力として期待されたが、14打席無安打。先発を外れた準々決勝のベネズエラ戦でチームは敗れ、近藤はベンチ前で頭を抱えた。
「前回は本当にいい景色を見させてもらった。あれから3年がたって、やっぱり負けるのは悔しい。僕自身、国際大会で初めて負けた。その悔しさはありましたね」
19年プレミア12、21年東京五輪、23年WBCと勝ち続けてきた国際大会で、初めて敗戦を味わった。
帰国後は息つく間もなくレギュラーシーズンが開幕した。状態が懸念されたが、天才打者に心配は無用だった。3月27日の
日本ハムとの開幕戦(みずほPayPay)で
伊藤大海から1号ソロ。3、4月は打率.292、リーグ2位の6本塁打、同トップタイの19打点を記録し、月間MVPに輝いた。
「WBCから調子が上がらず・・・
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