2度にわたって「3勝3敗の第7戦」を戦い、ともに日本一の頂へと上り詰めた。ルーキーとしてがむしゃらに挑んだ2003年、リーダーの自覚を胸に戦った2011年。日本一の称号を手にしたのは同じでも、その胸に去来したのはまた違った思いだった。 取材・構成=杉浦多夢 写真=BBM ファンの励まし
ルーキーイヤーの2003年、いきなり14勝を挙げる活躍で新人王に輝くと、迎えた阪神との日本シリーズでは第3戦の先発マウンドを託された。最初で最後の先発、あとは中継ぎ待機でチームの力になる──はずだったが、気まぐれな天気によって運命が変わっていく。二転三転する勝負の流れに翻弄(ほんろう)されながら、「人生で一番緊張した」という最終決戦のマウンドに上がると、最後は胴上げ投手の栄誉に浴することになった。 ルーキーイヤーの2003年はいろいろな意味で記憶に残るシーズンでした。いきなり日本シリーズまで行くことができて、日本一にもなれましたから、自分にとってはすごく大きな1年だったことは間違いありません。もちろん1年間投げた経験というのはなかったので、シーズン中は言われたところで全力で投げていたんですけど、大学のときは多少調子が悪くてもある程度は抑えることができていたのに、プロの世界では逆に調子が良くても打たれるときは打たれる。「やっぱりプロは違うな」ということを感じながら投げていました。
当時はまだパ・リーグとセ・リーグで交流戦もありませんでしたし、阪神との日本シリーズも「初対戦なら自分のほうがある程度は有利なのかな」と勝手に思っていました。チームも福岡ドームでの第1戦にサヨナラ勝ちすると、第2戦もあの
伊良部秀輝さんを打ち崩して13対0で大勝。MLBから阪神でNPBに復帰して、いきなり13勝を挙げていたピッチャーですからね。やっぱりセ・リーグのチーム、タイガースからしてみてもホークスは強いんだなと思いました。
ただ、甲子園に移ってからは雰囲気が一変しました。第3戦に先発するということで、甲子園で投げるのは高校生以来だったので楽しみでもあったんですけど、いざ球場に行ったら阪神ファンがとんでもないことになっていた。試合前練習のときからものすごいアウェー感。試合が始まっても1球ボールになるだけで大歓声、フォアボールを出そうものならホームランを打たれたかのような大きな地鳴りが起きました。
「この歓声にのまれたらダメだ」と思い、「この歓声は自分の応援なんだ」と自分に暗示をかけながら、必死に投げていました。強いて言えば大学のときに、規模は違いますけど早慶戦で投げていた経験があったのは大きかったかなと思います。当時の甲子園は今以上の迫力があったのではないでしょうか。2006年のファイターズ、千葉マリンでのマリーンズ、19、20年の日本シリーズでは東京ドームでのジャイアンツなど、いろいろなアウェーの応援を経験させてもらってきましたが、自分がルーキーだったということを差し引いても、2003年の甲子園を上回るものはなかったのではないかと思いますね。
僕の調子自体は普通だったと思います。
金本知憲さんにホームランを打たれてしまいましたが、その1点に抑えることができたので、良かったとも言えるんですけど、チームは延長10回でサヨナラ負け。やっぱり流れは変わったと思いますし、3連敗したときは「甲子園球場というのは別物なんだ」と痛感させられました。
あと1敗したら負ける、という重苦しいムードを変えてくれたのは、間違いなくホークスのファンでした。第5戦を終えて次の日に博多駅へ戻り、新幹線を降りたら・・・
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