日本プロ野球最高峰の戦い、日本シリーズ──。3勝3敗で迎えた最終決戦には、数々のドラマが刻まれてきた。1954年の日本シリーズから2023年の阪神対オリックスまで、球史に残る名勝負は数知れない。日本一の座をかけて繰り広げられた、記憶に残る第7戦の激闘を振り返っていく。 
後楽園で宙に舞う広岡監督。日本一3連覇中の阪急を破り、創立29年目のヤクルトが初出場の日本シリーズで頂点に立った
【1978年(昭和53年)】ヤクルト 4勝 - 3勝 阪急
創立29年目でセ・リーグを制したヤクルトが、日本一3連覇中の阪急に挑んだ。神宮球場では大学野球が行われるため、ヤクルトの主催試合は後楽園球場を使用。初出場の舞台は、普段の本拠地とは異なる場所となった。
広岡達朗監督の下で力をつけたヤクルトが、経験豊富な王者にどう立ち向かうかが注目された。
第1戦から激しい打ち合いとなった。ヤクルトは2対2の6回、
チャーリー・マニエルと
大矢明彦のソロ本塁打で勝ち越し、7回にも加点。5対2とリードして終盤を迎えた。しかし阪急は8回、
島谷金二の適時打と代打・
河村健一郎の2ランで一挙4点を奪い、6対5と逆転した。先発の
山田久志が5失点しながら完投し、初戦をものにした。
ヤクルトは第2戦でやり返す。初回に
福本豊の先頭打者本塁打で先制されたが、2回にマニエルの2ランで逆転。3回にも4点を加え、阪急の先発・
今井雄太郎を攻略した。その後も攻撃の手を緩めず、
角富士夫と
大杉勝男にも本塁打が飛び出す。阪急の反撃を10対6で振り切り、球団初のシリーズ勝利を挙げた。
1勝1敗で舞台を西宮へ移すと、第3戦は阪急の
足立光宏がヤクルト打線を封じた。許した安打はわずか3本で、四死球もなし。前の試合で10点を奪った打線に得点を許さず、5対0で完封した。阪急打線は初回に先制し、3、4回にも加点。7回には2点を追加し、足立を援護した。
シリーズの流れを変えたのは第4戦だった。阪急が序盤から優位に進め、5回を終えて5対0。ヤクルトは敗れれば1勝3敗と追い込まれるところだったが、6回に4点を返して1点差に迫った。迎えた9回、代打・
伊勢孝夫が内野安打で出塁すると・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン