1955年に巨人に入団して以来、ヤクルトコーチ、西武コーチ、西武監督として日本シリーズを27回も経験(そのうち、日本一21回)したのは、NPB史上最多。百戦錬磨の森祇晶さんは、3勝3敗からの最終決戦をどう戦ってきたのか。名将が語ったのは、相手を読み解く準備と、最後まで揺るがない勝負観だった。 取材・構成=落合修一 写真=BBM 
1992年の日本シリーズ優勝の胴上げ
胴上げよりも敵情視察
──日本シリーズが3勝3敗となって第7戦を迎えることは、監督として最初から想定しているものですか。
森 そこまで考えていたら大したものだよ。それよりも、日本シリーズに向けて監督が準備することはたくさんある。僕の場合は事前に情報を集めて、スコアラー任せにしないで自分で分析する。それをコーチに指示するというスタイルだったんです。
──その考え方は、いつから身についたのでしょう。
森 巨人の選手時代だね。1964年ぐらいまでは先乗りスコアラーなんていなかったから。川上(
川上哲治)さんが監督の時代、リーグ優勝が近づくと「お前はパ・リーグの優勝しそうなチームを見てこい」と言われた。だから僕は胴上げにも参加させてもらえなかった。ずっと公式戦を戦って、肝心の胴上げのときにいないんだから(笑)。
──相手チームの試合を見に行くわけですね。
森 そう。自分の目で見て、気付いたことをメモする。新聞記者からも情報をもらう。特に役立ったのは野村(
野村克也、当時南海)さんとの関係だね。古い付き合いで、南海が東京へ来ると必ず会っていた。リーグが違うから、いろいろな情報を聞けた。それを整理して、川上さんから任されていたバッテリーの仕事に生かした。コーチになっても監督になっても、あの経験はものすごく役に立ったよ。
──いまは相手の情報も豊富にあります。
森 だけど、情報をどう分析するかは首脳陣の仕事でしょう。実際に戦うと、調べたことと違う部分も出てくる。だから僕は、日本シリーズでは第2戦を大事にしていたんだ。
──第2戦ですか。
森 第1戦は、普段戦わない相手と初めて戦うわけだ。集めた情報と実際の姿が一致するか、そこで確かめられる。違っていれば修正して第2戦に臨める。第2戦を取れば、気持ちよく第3戦からの球場へ移動できるでしょう。もちろん第1戦も勝つに越したことはないけどね。
──それなら、エースを第2戦に回すという考え方もありますか。
森 いや、それは違う。エースにはプライドがある。シーズンで一番勝ってきた投手なら、日本シリーズの開幕を任されたいと思うでしょう。そのプライドは大切にしなきゃいけない。第1戦に投げてもらって、そこで分かったことを第2戦に生かすんです。
──分析というのは、具体的にはどうするのですか。
森 例えば1987年の巨人との日本シリーズ。
クロマティや篠塚(
篠塚利夫)、吉村(
吉村禎章)と、3割打者がずらっといる。名前を聞いただけで強打線だと思うでしょう。でも、相手がどんな投手から打っているかまで調べると、セ・リーグのエース級からはそれほど打っていない。ウチには渡辺(
渡辺久信)や工藤(
工藤公康)ら、エース級の投手がいるんだから、必要以上に怖がることはない。数字はそうやって見なきゃ駄目なんだ。
──実際の試合でも、分析が生きた場面があったのでしょうね。
森 あの年は、クロマティの守備の弱さを突いた走塁があったでしょう。清原(
清原和博)も辻(
辻発彦)もああいう場面で思い切って走れたのは相手の弱点を選手が分かっていて、走塁コーチの伊原(
伊原春樹)も徹底していたからできたんだ。監督だけが知っていても駄目。選手もコーチも同じ方向を向かなきゃ、日本シリーズは勝てないよ。
──数字をそのまま見ていては、相手を過大評価してしまうわけですね。
森 そう。3割打者が何人いるかじゃなく・・・
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