監督の辞任、新監督の就任……。プロ野球界“秋の風物詩”とはいえ、今年は特に慌ただしい。注目を集めていたのが、星野仙一監督が辞任した楽天の新監督人事だ。秋季練習スタート当日の10月14日に会見を行い、大久保博元新監督が誕生したが、それまでのドタバタ劇は厳しい船出を象徴しているかのようだ。 ▲球団事務所の一室で会見を行った大久保新監督。重苦しい雰囲気の中、決意を語った
新監督誕生までのドタバタ劇
新監督の就任会見が行われることが発表されたのは、会見開始時間のわずか2時間半前のことだった。10月14日。大久保博元新監督はそのとき、羽田空港に降り立った後、仙台へと向かう途中だった。二軍監督としてフェ
ニックス・リーグで指揮を執るため、一度はユニフォーム姿でサンマリンスタジアム宮崎に向かっていた。午前9時に球団から連絡を受け、慌てて宿舎へと引き返し、東京を経由して仙台に到着したのは午後3時。とまどいながらも「常勝軍団をつくるために自分の命、体を懸けてみたい」と決意を語った。
楽天5代目監督の船出は、異例づくめとなった。4年前、三木谷浩オーナー同席の下、仙台市内のホテルで行われた星野仙一前監督の就任会見とは、あまりに対照的だ。球団事務所の小さい一室でオーナーは不在。同席した立花陽三社長は、会見冒頭であいさつした以外に一切の質問を受け付けることなく、新監督と握手もしないまま退出した。晴れ舞台にはふさわしくない、あまりに重苦しい会見となった。
星野前監督が9月18日に辞任表明した直後から、球団では内部昇格を基本線として話し合いが進められてきたが、就任決定まで長期間を要した。当初はシーズン終了直後の発表を見込んでいたが、立花社長は「スピードは重要だけど、そればかりではない」と結論を先送りにしてきた。それが、監督不在で秋季練習がスタートした日のドタバタ発表。立花社長は記者のカコミ取材に応じず、安部井寛チーム統括本部長に任せ、起用理由を説明することを拒んだ。ただ新監督を発表しただけに過ぎなかった。
「恩返しするには優勝しかない」
▲二軍監督2年目の今季は、星野監督休養後、一時監督代行も務めた。初采配となった7月2日にはドラ1ルーキーの松井裕をリリーフとしてマウンドに送り、初白星をつけた
大久保新監督は、星野政権2年目の12年に一軍打撃コーチを務め、13年から二軍監督に就任した。会見後、安部井本部長が「外部から呼べば、選手の力を把握するのに半年はかかる」と説明したように、一、二軍を知る存在は適任とも言える。ただ、
西武の二軍コーチ時代に暴力沙汰を起こした過去もある。今回、ファンから監督就任反対の署名運動まで起こり、球団内部で起用に慎重な姿勢があったのは確かだ。それは、大久保新監督も承知の上。「ファンの皆様には、ものすごい不安だったり、いろいろな思いがあると思う。その中で、恩返しするには優勝しかない」と強く誓った。
新監督としては異例の単年契約を結んだ。日本一の栄光から一転、リーグ最下位に沈んだチームを立て直すのは容易ではないが、限られた時間の中で、結果を残さないといけない。「星野監督の野球を引き継いで、みんなで戦う。常勝軍団を作っていきたい。そのためにはスランプのない守備、走塁をしっかりしていく」。
ドタバタの中で大久保政権がスタートしたが、すでに秋季練習では組織プレーも取り入れるなど、覇権奪回に向けたチーム作りは始まっている。「星野監督という球界の伝説のような方の後は『厳しい』を越えるプレッシャーがある」と身を引き締めた。
就任会見前には、球団事務所を訪れていた星野前監督にも挨拶を済ませた。「『思い切ってやれ!』と言っていただいた。『俺はお前のことをずっと後ろから後押しする。いつでも電話してこい』と言っていただいたのがすごくありがたかった。今までどおりの監督の気迫を見られたので安心した」。闘将の意志を受け継ぎ、独自の色を加えて常勝軍団を築き上げていく。
CS進出を逃した各球団は、続々とコーチ陣を含めた組閣を固めている。その一方で、楽天はようやく新監督が決まっただけ。星野前監督についても、今後も球団に残ってアドバイザー的な役割を務める予定だが、役職などは未定のまま置き去りにされている。まだ問題は山積みだ。「負けるのは怖くない。協力が壊れるのが一番怖い。一致団結していく」と大久保新監督。
日本一に輝いた昨季は「チームが一体となった」と誰もが口をそろえる。今はまず、そのことをフロントを含めた全員が思い出すところから始めるしかない。