育成からロッテの主力投手、日本代表のクローザーへとシンデレラストーリーを体現する伸び盛り。すでに威力を証明済みの高速フォークを武器に各国の強打者たちのバットに空を斬らせていく。 写真=桜井ひとし 2014年11月15日は、侍ジャパンが世界の野球史に刻む偉業を成し遂げた日として語り継がれることだろう。
この日、行われたのは日米野球第3戦。東京ドームにMLBオールスターチームを迎えた侍ジャパンは、8回まで4対0とリードしていた。しかも4四死球を与えただけで、並み居る強打者たちから1本のヒットも許していなかった。4万6084人の観客がかたずをのんで見守る中、緊張高まる最終回のマウンドに上がったのが
西野勇士だった。
「終わってみた今となっては『良かったなあ』と思いますが……いつ思い出してもホッとしますね」
思い返すたびに苦笑するが、その内容は昨季のアメリカン・リーグとナショナル・リーグのそれぞれの首位打者であるアルトゥーベとモーノーを含む二、三、四番を三者凡退に抑える圧巻のピッチング。13球でメジャーの一流打者を手玉に取り、継投でのノーヒットノーラン達成に貢献した。

「さすがに緊張しました」と語る14年日米野球での継投ノーヒットノーラン。プレッシャーをはねのけ、三者凡退で締めくくった[写真=高原由佳]
2009年に育成ドラフト5位でロッテに入団し、3年前には3ケタの背番号を着けていた。なかなか才能を見い出されずに、ようやく支配下登録を勝ち取ったのは12年のオフだった。
抜てきしたのは同時期に監督就任し、現在も指揮を執る
伊東勤監督。キレのある直球とフォークに目を止めた指揮官は、実績のない若者をいきなり先発ローテーションの一角に起用、西野はシーズン9勝を挙げてその期待に応えた。
翌14年にはクローザーに転向するとこれが大はまり。宝刀の高速フォークは短いイニングでさらにその威力を増し、投球イニング(58回)を上回る奪三振(63)をマークし、防御率1.86、31セーブと救援1年目で適性を発揮した。
小久保裕紀代表監督にも活躍を認められ、冒頭の日米野球で侍ジャパンに初招集。15年の欧州代表戦でもクローザーを務め、1セーブを挙げた。今季のペナントレースもロッテの最終回を任されており、プレミア12でも侍ジャパンのクローザー有力候補と言えるだろう。「呼ばれたら参加したいですけど……何とも言えないですね」。だが、今秋の話を向けても、西野自身は表情を緩めることはない。その理由はこうだ。
「まだ、僕が一番いいクローザーだとは思っていません。高橋(朋己、
西武)さんや増井(浩俊、
日本ハム)さん、松井(裕樹、
楽天)君がいますから」
目指すのは12球団No.1リリーバー。さらにその先に、世界の頂点がある。ライバルたちと切磋琢磨しながら、その右腕はさらに輝きを増していく。
PROFILE にしの・ゆうじ●1991年3月6日生まれ。富山県出身。182cm82kg 。右投右打。新湊高から09年育成ドラフト5位でロッテに入団。支配下1年目の13年に先発で9勝をマーク。14年からクローザーに転向し、侍ジャパンでも同ポジションを任される。