巨人、西武に次ぐ優勝回数を誇る伝統球団であるホークス。若鷹軍団がプロ野球史に残した数々のVのドラマを回顧する。 文=大内隆雄、写真=BBM 59年はようやく西鉄をたたき落とし、38勝の杉浦が日本シリーズでも4勝
今回で、ホークス(南海、ダイエー、
ソフトバンク)の優勝回数は19回となった(46年の近畿グレートリングの優勝を含む)。これは巨人の45回、西武の21回(昨年まで)に次ぐもので、現在のチームの勢いなら、西武の回数を上回るのは、そう遠いことではないだろう。
実は、厳密に言うと、ホークスのV回数は、すでにライオンズと「同数」なのである。2004年から06年まで、パ・リーグのみで行われた「第2次プレーオフ」で、04年はダイエー、05年はソフトバンクがシーズン通算勝率では1位なのに、プレーオフで、それぞれ西武、
ロッテに敗れて優勝を逃している。両年とも、2位チームを勝率で3分以上引き離しているのだから、筆者などは、いまだに釈然としない思いを引きずっているのである。「第1次プレーオフ」(73~82年)は、2シーズン制だったので、通算勝率にほとんど意味はないが、「第2次」の04、05年は133ないし136試合を戦っているのだから、そこで2位を3分以上引き離したホークスは、立派に優勝チームだろう。パ・リーグには、この両年の優勝チームをホークスに「戻す」ことを望みたい。先のホームランを三塁打にした審判の誤審問題のようなものだが、これはちょっと重過ぎる「誤審」である。
もっとも、この悔しさが、のちの07年からの9年間で4度のVという強さを生んだのかもしれない。11年、14年は日本シリーズも制し、いま盤石の強さを誇る。盤石の強さと言えば、ホークスファンが今でも思い出すのが、1959年のシーズンだ。56~58年は、あの最強西鉄に押さえつけられ3年連続2位の屈辱。その西鉄をようやくたたき落としVを奪回したのがこの59年。そして、日本シリーズでも5度目の対戦で、ようやく巨人を倒した。
この年の大主役がエースの
杉浦忠。ペナントレースでは38勝4敗(勝率.905)、防御率1.40という恐るべきスーパー投球で、もちろんMVP。日本シリーズでは4連投4連勝の離れワザ。こちらもMVP。日本一となったあと「1人になって泣きたい」と言ったというのが伝説になっているが、後年、本人に聞くと「あれは、泣き遅れちゃったんです。インタビューを受けてベンチに戻るとみんなワンワン泣いてる。あれ、オレだけ泣いてないのか。オレも泣きたい、そんな気持ちになったんです。オレもどこかで泣きたい、それが1人で泣きたいになったんじゃないですかね」。ここは杉浦の言うことを信じよう。シーズンで371回1/3を投げ、日本シリーズでも4連投。心身ともに疲労コンパイの杉浦には、喜びを爆発させる感情が残っていなかったのかもしれない。みんなのワンワンで、ようやくその感情が戻ってきたのだろう。

1959年、巨人との日本シリーズで4連投4連勝を果たしてMVPに輝いた杉浦
99年は選手がワンワン泣くダイエー初V。03年は投打が最高のバランスで圧勝

1999年、福岡移転後、初優勝を飾ったダイエーホークス。王監督が宙を舞った
このワンワン泣く優勝は、ここからちょうど40年後の99年に再現される。
王貞治監督となってから5年目のダイエーが、ついにパ・リーグを制したのだ。そして、
中日との日本シリーズでも4勝1敗と圧倒しての、64年以来の日本一。選手はワンワン泣いた。リーグVのあとか、日本一のあとか忘れてしまったが、ベンチである主力打者が「王さんのために泣くとは思わなかったなあ」と言ったのが記憶に残った。この選手は、王監督との折り合いが悪く、一時は、険悪なムードが漂ったのだが・・・
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