中日だけではない。球界の歴史をひもとくと、シーズン中に多くの監督交代劇があった。成績不振の責任、球団内の力関係、そして女性問題……。ここではその代表的な事例を紹介してみよう。 水原監督の殴打退任
途中解任(休養)第1号は、36年の
阪神。
森茂雄監督が関西の電鉄ライバル会社が親会社である阪急軍への大敗を引き金に辞めさせられた。
名将のシーズン途中の解任劇としては、あくまで“実質的”という冠はつくが、60年、
巨人・
水原茂がその先駆け(?)。水原監督は球団社長・品川主計と何度となく衝突。この年のV逸が決定的となった時点で、水原のフロント入り、
川上哲治新監督就任が規定路線となっていた。10月2日、この動きを察し、イライラを募らせていた水原監督が“爆発”する。巨人が敗れ、大洋の優勝が決定した試合の後、至近距離から盛んにシャッターを押し続けたカメラマンに激怒し、殴打。その後、謹慎処分を受け、川上が監督代行となり、シーズン終了を待って“予定どおり”監督交代が正式に発表された。“青バット”で知られ、川上と並び称されたスーパースター、
大下弘は、68年に東映の監督になるも、成績低迷で途中解任。選手を制約せず、自由放任主義を取ったが、すべてが空回り。当時の選手だった
張本勲は「監督にしてはいけなかった人」と振り返った。71年には、
ロッテの
濃人渉監督が審判の
ジャッジに猛抗議。放棄試合となる騒ぎを起こし、責任を取って二軍監督に降格した。ただし、この放棄試合は中村長芳オーナーの指示とも伝えられ、中間管理職のやるせなさを感じさせる。
72年、阪神・
村山実に関しては、なかば詐欺のようでもある・・・
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