※取材・構成=週刊ベースボール編集部、写真=BBM 耐雪梅花麗。
この言葉が一気に広まったのは2016年7月23日(土)の
阪神戦にて日米通算200勝を達成した試合の後のセレモニー。黒田への祝福を込め、チームメイトがおそろいで着用したTシャツの表に、黒田の座右の銘「耐雪梅花麗(雪に耐えて梅花麗し)」がデザインされていたからだ。
意味は、梅の花は冬の厳しい寒さを耐え忍ぶからこそ、初春に美しい花を咲かせる。苦難や試練を耐えて乗り越えれば、大きく見事な成長が待っているという例え。大成するには忍耐が不可欠だということだ。
この言葉を黒田が高校時代から気に入っていることは、様々なメディアでも報道されていたが、それを裏付ける高校時代の寄書きがあると聞き、週刊ベースボール増刊「
黒田博樹 引退記念号」の取材で上宮高校を訪ねた。
黒田は上宮高校創立100周年の年、1990年に入学。当時の野球部は激戦区大阪の中でもPL学園と双璧で、甲子園常連校として注目される存在であった。黒田が2年生の新チーム結成時はエース格は
西浦克拓(元
日本ハム)、溝下進崇の2人で、黒田は背番号17の控え投手。それでも準優勝した近畿大会では黒田も登板機会を得ていた(翌春のセンバツは学校が出場辞退)。夏は5回戦敗退で高校時代は幕を閉じた。
黒田の1学年上の
薮田安彦(元
ロッテ)の証言が印象深い。
「体は強く、ケガはしませんでした。練習もへばることなくついてきました」(薮田)
上宮高校のハードなランニングメニューに鋭い眼差しで向き合っている。そんな黒田の姿は想像に難くない。
結局、苦しい練習を耐え抜いての甲子園出場はならなかったが、彼が卒業アルバムに残した寄書きには「苦しまずして栄光なし 黒田博樹」と丁寧に書き記されていた。今からおよそ24年前のことである。プロ入りのさらに4年前、高校卒業時にすでに彼はこれから始まる〝苦行〟を覚悟していたに違いない。
また、メジャー時代にこんなエピソードもあった。ヤンキースの春季キャンプではジラルディ監督の提案でミーティング中に、毎日交代で選手たちがスピーチをする企画があった。このときに黒田はこの座右の銘を紹介したという。
監督はもちろん、ジーターなどの主力選手も感銘を受けたほどで、メジャーで成功するときに通じる言葉だという意見が多かった。
耐雪梅花麗。
メジャーでも、黒田を知る選手が知っている言葉となった。
週刊ベースボール増刊「
黒田博樹 引退記念号」が11月11日(金)に発売となります。高校時代から引退までの黒田博樹ヒストリーに、再録インタビュー、
前田健太投手、クレイトン・カーショウ投手ら戦友からのメッセージなど、週刊ベースボールの「黒田博樹」を詰め込んだ一冊となっております。ぜひご覧になってください。
黒田博樹引退記念号 週刊ベースボール 11月29日号増刊
2016年11月11日発売
A4判
定価 本体639円+税