12月4日、心不全のため86歳で亡くなった、故荒川博氏の通夜と告別式が、同10日と11日に東京・中野の宝仙寺で行われ、葬儀委員長は教え子のソフトバンク球団会長の王貞治氏が務めた。通夜には400人、告別式には300人を超える参列者が詰め掛け故人の冥福を祈った。 文=池田哲雄 
荒川氏の祭壇。通夜、告別式とも大勢の関係者が参列した/写真=菅原淳
一期一会の運命的な出会いは、放たれたベクトルの矢が、重なり合った幾つもの標的を射抜いた瞬間だった。東京・墨田区の公園で、初めて王と出会った、その2年後の1956年、荒川の母校・早実は、エース兼四番を務める王の投打にわたる活躍で、秋季東京都大会を勝ち抜き、翌年春に行われる選抜甲子園大会の出場切符を手にしていた。目指すは甲子園初制覇。その最も大きな課題は、投手・王の不安定な制球力だった。
同年11月、荒川の自宅に朝日新聞の記者を務める、早実野球部総監督の久保田高行の取り計らいで、久保田と早実1年生の王が足を運んだ・・・
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