
会見で「1(ワン)ダホー!」ポーズの川崎。右は工藤公康監督/写真=湯浅芳昭
4月1日、ヤフオクドーム内で、MLBカブスを自由契約となっていた川崎宗則のソフトバンク入団会見が行われた。ホークスファンにとって、まさに、待ちに待った日と言えるだろう。 波乱万丈のアメリカ時代
「(カブスを)クビになって、これは困ったなというときに、一番最初に声をかけてくれたのがホークス。それがうれしかった。次の日、朝起きてホークスでプレーしたいと思いました」
復帰理由をそう語った川崎宗則は、ファンへのメッセージをと聞かれ、開口一番、「もう、いつ帰ってくるの?と言ってもらえない寂しさはあるかな」と言って笑った。
鹿児島工高からドラフト4位で、2000年にソフトバンク(当時ダイエー)入団。03年に遊撃手と三塁手の併用でスタメンに定着すると、翌04年以降は不動の遊撃手に。堅守に加え、03年から9年連続100安打以上と、シュアなバッティングでも鳴らし、甘いマスクと明るい性格もあってチーム一の人気者となった。
順風満帆の野球生活の転機は、11年オフだ。海外FA権を取得し、あこがれの
イチローがいたマリナーズとマイナー契約を結んだが、そこからの軌跡は、まさに波乱万丈だ。13年からブルージェイズ、16年はカブスに在籍し、すべてマイナー契約からスタート。それでもすべての年でメジャー昇格を果たし、かつシーズン中にマイナー落ちを経験している。ただ、その苦闘の中でも、川崎のガムシャラでハツラツとしたプレー、陽気なパフォーマンスがアメリカの野球ファンを魅了。そのパフォーマンスを見た日本のファンにも“マニア”を増やした。
今回は1年契約で年俸は9000万プラス出来高(推定)。背番号はもちろん、準永久欠番的扱いだった「52」だ。今年で36歳と、すでにベテランとなっているが、「キレッキレのオヤジです。息子とベースランニングをやっても負けません! 15年経っても負けません!」とムネリン節全開。
ただ、「いまのチームが最強だと思う」と川崎自身が語るように、ソフトバンクの内野陣は一塁・
内川聖一、二塁・
本多雄一、三塁・
松田宣浩、遊撃・
今宮健太と、すべて球界を代表する選手たちがそろう。そこに食い込むのは簡単ではないが、「ピッチャーをやれと言われれば・・・
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