平成元年、日本シリーズは巨人が3連敗から4連勝で近鉄を下したが、その後3年間、セはことごとく黄金時代の西武に敗れた。迎えた1993年、西武の牙城を崩したのは、野村克也監督率いるヤクルトだった。 
1992年、3年連続日本一を飾った西武。盤石の強さを誇った
平成元年、1989年(以下、基本的に西暦表記)は、セ・リーグでは
藤田元司監督が復帰した巨人が、20勝でブレークした若きエース・
斎藤雅樹と、一時は打率4割をキープしていた
クロマティを軸に圧倒的な強さを見せた。パ・リーグは前年、あの「10.19」の雪辱を果たし、近鉄が勝利。本塁打王・
ブライアントを軸に打ちまり、4連覇を続けていた西武、さらに
オリックスとの激闘に競り勝った近鉄だが、日本シリーズでは、その“イケイケぶり”で墓穴を掘る。第1戦から3連勝で王手をかけながら、その試合の勝利投手、
加藤哲郎の「
ロッテ(パの最下位)より弱い」の暴言に巨人ナインが奮起。4連敗で日本一を逃した。
その年秋のドラフトで史上最多8球団の1位指名を受けた男が翌90年の主役になる。近鉄の
野茂英雄だ。いきなり18勝を挙げ、先発投手タイトルを総なめにしたが、結果的にパを独走で制したのは西武だった。さらに日本シリーズでは斎藤の2年連続20勝の活躍もあって、同じく独走で優勝した巨人を怒とうの4タテ。日本一となった。
中日の
与田剛、西武の
潮崎哲也、
広島の
佐々岡真司ら、新人の大豊作年でもあった。
91年、セでは最多本塁打が
江藤智の11本塁打だった打線を・・・
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