元大洋(現DeNA)の名二塁手で、現役引退後は複数球団でコーチ、横浜、ロッテでは監督として指揮を執った近藤昭仁氏が、3月27日午前1時23分、敗血症性ショックのため80歳で死去した。 文=池田哲雄(小社社長) 
1989年巨人のヘッド・コーチとして藤田元司監督を支え、日本一に。写真は3連敗の後の第4戦の勝利の後。右から完封勝利の香田、藤田監督、近藤氏
フォルクスワーゲンの運転席に座り、両手をハンドルに掛けながら発する言葉が白熱化していった。まるで高速道路を勢い良く加速していくかのようだった。
私がこの業界に身を置き、最初に手掛けたのは、取材記者として1982年の早稲田大学創立100年を記念して、弊社から翌83年に発刊された「早稲田大学野球部栄光の軌跡」という特別号の誌面制作だった。
早慶6連戦で6連投、雌雄を決する戦いを制したエース・
安藤元博氏から始まり、近藤昭仁氏と立て続けにインタビュー取材を行った。近藤氏は当時、
西武の一軍守備走塁コーチとして、大先輩の
廣岡達朗監督の下、82年には西武のリーグ初優勝とシリーズ初制覇にも貢献していた。
83年1月、選手たちが自主トレを終えた西武球場で、約束の場所に指定された球場駐車場に現れた近藤氏は、愛車の助手席に私を招き入れると・・・
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