実力校が次々と姿を消す、ドラマチックな展開だった2003年の夏。悪天候に見舞われながら、最後は熱戦で暮を閉じた大会を駆け足で振り返る。 写真=BBM ※記録は発刊時の2014年現在 
6試合を戦って本塁打ゼロ。チームカ、総合力で頂点に立った常総学院
大度重なる日程変更を余儀なくされた2003年の夏。1回戦では、4回途中まで8対0とリードしていた駒大苫小牧が、降雨ノーゲームとなった翌日に倉敷工に敗れるなど、天気による泣き笑いがあった。不安定だったのはフィールド上の戦いも同様で、春夏制覇に挑んだ広陵、夏連覇を目指した明徳義塾をはじめ、平安、智弁和歌山、近江、今治西、PL学園、沖縄尚学ら実力校が続々と姿を消した。
決勝に残ったのは2年前(2001年)のセンバツ優勝の常総学院と、2年生以下が主力を占める東北。常総学院は磯部洋輝、飯島秀明ら3投手、東北もまた、大きな注目を集めたエース・
ダルビッシュ有だけでなく真壁賢守ら計4投手をうまく駆使しての決勝進出だった。
長身からの速球で“怪物”と謳われたダルビッシュだが、右脚のスネ部分に故障を抱え、万全な状態ではなかった。それでもエースの自覚から、決勝では若生正廣監督に先発を直訴。試合の立ち上がりも上々で、東北勢初の全国制覇がいよいよ実現かと思わせた。2回に2点を先行され、劣勢に立たされたかに見えた常総学院は、しかし冷静にダルビッシュの球筋を見極めていた。木内幸男監督とナインは、9イニングのうちに必ずとらえられる機会があることを確信していたのだ。
それは意外と早く、4回に訪れた。常総学院は先頭の平野直樹が内野安打で出塁したのを合図に、上位打線が長打を集めて3得点。ダルビッシュがマウンド上で時折、苦しそうな表情を見せるのとは対照的に、主導権を奪った常総学院ナインは、けっしてそれを離そうとしなかった。長らく「マジック」と称された木内采配だが、その表現がもっとも当てはまる場面があるとすれば、3回裏の守りだろう。東北のイニングの先頭打者に二塁打を喫したところで先発の磯部から飯島へとスイッチ。飯島はその回を、そして9回までをゼロで抑え、起用に応えた。普段の練習や練習試合を通じて選手の特性を把握していた木内監督らしい、思い切りのいい交代だった。
選手個々の力でいえば東北がまさっていたかもしれないが、高校野球における「勝負」は、けっしてそれだけでは決まらない。常総学院は6試合を戦って本塁打ゼロ・・・
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