今夏の甲子園決勝、異様とも言えるほど大声援を一身に浴び続けた星稜高・奥川恭伸。北信越・石川県の右腕が人々を惹きつけてやまぬ一因は爽やかな笑顔や自然な涙に象徴される人間味だろう。そこで、人間が人格を形成するのにも極めて重要な期間、小・中学生時代のチームの指揮官に在籍当時の「奥川少年」を語ってもらった。 取材・構成=大久保克哉、写真=BBM 2019ドラフト候補選手名鑑号より転載 
2016年夏、第38回全国中学校軟式野球大会[全中]で優勝した宇ノ気中ナイン。左から2番目が奥川、同4番目が星稜高でもバッテリーを組んだ山瀬慎之助。宇ノ気中は79年の第1回全中にも出場している
三浦隆則監督(かほく市立宇ノ気中) 「応援される選手」に
いやあ、さすがに私も涙が出ました。月並みですけど感動しました、今夏の星稜の甲子園は。
ちょうど関西方面に出張などもあり、校長(宇ノ気中)からも「行ってこい」と言っていただいたので、1回戦(対旭川大高)と3回戦(対智弁和歌山)と決勝(対履正社)の3試合は甲子園のスタンドで観戦させてもらいました。私が宇ノ気中に赴任する1年前、奥川と山瀬(山瀬慎之助=捕手)たちが2年生のときに野球部の監督を務めた福島栄一先生(※3年時は部長)も、決勝戦は一緒でした。
甲子園は素晴らしい夢の舞台ですね。同じ夏の全国大会決勝と言っても、3年前の全中(決勝はハードオフエコスタジアム新潟)は私もベンチにいて必死で涙どころではなく。また奥川を筆頭に野球が大好きな明るい子たちばかりでしたから、優勝しても全員笑っていました。
この夏の甲子園は単なる観客、第三者として見ていました。特に決勝では・・・
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