流浪の末にチームがたどり着いた川崎球場。施設は貧弱で観客動員も伸び悩んだが、“ミスター・ロッテ”有藤通世にとっては、それでも愛着のある“第二の故郷”だ。 85年には川崎球場で通算2000安打を達成した
私にとって最初の“わが家”はプロ入りした1969年から4年間を過ごした東京スタジアム。でもその球場が閉鎖されることになり、チームは宮城とかいろいろな球場を間借りすることになった。新しい“わが家”が欲しいなと思っていたから、大洋が横浜に移った後、78年から空いた川崎球場が本拠地になったときは「また“わが家”ができた」と思ってうれしかったね。
でも、球場自体はひどいものだった。古いし狭い。バッターにとってはこすった当たりがホームランになるからありがたさもあったけど、古いせいもあって雨漏りがあったり風通しが悪くて、梅雨時や夏場はロッカールームが湿気で充満する。雨が降ろうものならトイレが臭くてたまらない。遠征に行くときはロッカーにバットを置いておいたらカビが生えてしまうから、車のトランクがバット置き場だった。
サードを守っていても内野の土は・・・
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