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ダンプ辻のキャッチャーはつらいよ

短期連載ダンプ辻コラム 第5回「打てないバッターはつらいよ」

 

それまで完ぺきに抑え込まれていた外木場から生涯1本だけホームランを打ったダンプさん。さて、その理由とは


貝沼君のおかげ


 今回がもう5回目ですか。

 たぶんまだ、「ダンプって誰だ?」って思っている方も、多いんじゃないでしょうか。現役は22年と半年で、それなりに長いですが、ヒットはたったの418本ですからね。「その程度の成績のくせに、タイトルに自分のあだなまでつけて、なんて偉そうなヤツだ」と怒っている人もいるかもしれない。でも、何度も言いますが、タイトルは僕がつけたわけじゃありません。僕だって、本が出てから初めて知ったんですから(笑)。

 今さらですが、ダンプというあだなも説明しておきましょう。プロ2年目、昭和38年(1963年)のキャンプで、コーチの土井垣武さんがつけてくれました。馬力を入れた練習をしていたので、「お前はダンプカーみたいだな」と言ってくれ、近くにいた新聞記者も「そりゃいい」となったんです。ヒゲさん(辻佳紀)も、この年に入団し、イニシャルまで「YT」で一緒。まぎらわしいと、よく言われてましたしね。

 えっ? 今回は僕の高校時代の話からですか。別にいいですが、皆さん、そんな昔話に興味あるのかなあ。えっ? あるから大丈夫? ホントですか、あなたは、いつもいい加減なことばかり言ってますからね(笑)。

 まあ、もう55年以上昔の話ですから、今の方には逆に新鮮なこともあるかもしれない。少し端折りながら話していきましょう。

 僕は名古屋の享栄商(高)というところに誘ってもらい、昭和33年(1958年)に入学しました。当時の月謝は1800円、生徒会費が100円でしたが、特待生なんで月謝は勘弁してもらいました。野球部員は全部で180人くらいで、1年生は108人、特待生は8人だったと記憶しています。

 当時、野球部でグラウンドを作ろうとなって、それはそれでいいんですが、作業は僕ら(笑)。天白区の相生山というところだったんですが、1カ月半くらいです。先生の指示で、まずはグラウンドの予定地をスコップ、ツルハシを使い、40センチくらい掘りました。重労働でしたね。これで新人もずいぶん減りました。

 掘った後、内野にはセンターの高台にあったきれいな砂を敷くことになっていたのですが、ある雨の日、砂を掘っていた場所が・・・

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