大洋時代の辻氏の料理風景/本文とは関係ありません
魔法の治療で30本!
前回は僕の17のケガのうち12までを紹介しました。最後の1つは、昭和50年(1975年)、大洋1年目に左足のアキレス腱の部分断裂をし、病院にも行かんで治した話でしたが、次の51年は、左をやったことで負担がきた右のアキレス腱が痛くなった。トレーナーに診てもらったら、同じように半分くらい切れているということでした。病院ですか? 行きません。治し方ももう分かっているし、トレーナーに「また?」と言われながら毎日テーピングしてもらってやっていました。
結局、1年目は31試合、2年目は12試合の出場でしたが、逆に考えたら、それがよかった気もします。僕は昭和46年に全試合出場した後、
阪神で3年間、ブルペンコーチみたいなことをしていたでしょ。ボールは死ぬほど捕ったけど、走ったり、打撃練習はほとんどしてない。大洋への移籍が決まったとき、二軍コーチの
藤村隆男さんに「ダンプ、お前は大洋で試合に出るんだろうから少し体を動かしに来い」と言ってもらい、若い連中に交じって、これまでやったことないくらい体を動かしましたが、しょせん1カ月ほどです。すぐさまフルにやったら、もっとひどいケガをしていたかもしれません。
あと、1、2年目と大洋の投手が悪過ぎましたからね。それをブルペンで観察し、少しずつ変えさせる時間もあった。とはいえ・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン