
2016年1月7日。早実の「王貞治記念グラウンド」の人工芝敷設工事竣工式で談笑する中大・宮井総監督[右]とソフトバンク・王会長[左]
生涯、総監督だった。いつも母校のことを気にかけていた。昨秋、中大は東都大学リーグ戦で30季ぶり25度目の優勝。宮井勝成さんは、教え子に当たる中大・
清水達也監督へ労いの言葉をかけている。
「おめでとう、よくやった!」
歴代OBは、35年率いた中大の宮井総監督を「オヤジ」と呼ぶ。清水監督は「親孝行ができた。93歳。オヤジが元気なうちに優勝したかった」と昨年10月、神宮球場の控室でしみじみと語っていたのが印象的だ。
早実、中大のシンボルが旅立った。
8月7日、肺がんのため東京都内の病院で死去した。94歳だった。
宮井さんは1926年4月14日生まれ。東京都出身で、早実では41年春のセンバツ甲子園に控えの内・外野手として出場(背番号14)している。戦後、中大に入学して卒業後は、54年に早実の助監督となり、55年9月に監督に就任した。
当時は・・・
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