
平松(右)とともに引退試合
あした引退してくれ?
ようやく、僕の引退話の続きを書いてくれるようですね。
僕があの年、
巨人戦の剥離骨折から段々、運がなくなっていって……。もう聞いた? そりゃそうですよ。この間、話しましたから(笑)。でも、本格的に走る前の助走みたいなもので、このあたりから話したほうが、読んでいる人たちも分かりやすいと思いましてね。え? きょうは時間がない? まったくもう(苦笑)。人生、そんな急いでもいいことないですよ。のんびり行きましょうよ。
まあ、仕方ないから、思い切って端折っちゃいますが、昭和59年(1984年)、ほとんど試合には使われないけど、開幕からチームに帯同していたシーズンでした。
6月初旬の北海道遠征で、帰りの空港で土産物を買った後、一人でボーッとしていたら、監督の関根(
関根潤三)さんが来て、「引退だ。あしたからファームに行って、若い連中に教えてくれ」と言われた。
びっくりしました。いくらなんでも急じゃありませんか、と思いましたが、「球団から何度も言われるんだ。昨年までと言われたのは俺が止めたんだよ」と。これはもう仕方ないな、とは思ったんですが、・・・
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