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平野謙の「人生山あり谷あり、感謝あり」

平野謙コラム 第37回「これはスモールベースボールじゃない?」

 

優勝した2006年のMVP、小笠原。彼に1つだけ出した注文とは……


ヘッドスライディング禁止!


 2回ほど日本ハムのコーチ時代(2006年から08年)の話をしていますが、僕はたぶん、それまでの日本ハムのコーチとは違っていたと思います。厳しく言うときもあったし、ベンチで怒って、あちこち蹴っ飛ばしていたこともあります。断っておきますが、選手に手を出したことはないですよ。理不尽な怒り方をしたこともない。当たり前のことは当たり前にできるようにさせよう、ミスをしたのにヘラヘラするのはやめさせよう、と思っていただけです。「何それ?」みたいな顔をしている選手もいたけど、楽しいだけじゃ勝てませんからね。プロ野球の世界は、勝って楽しいんですよ。日本ハムの1年目は、それを選手に必死に伝え、選手も少しずつ分かってくれた1年だったと思います。

 前回までは、当時の日本ハムの外野陣、新庄剛志(SHINJO)、稲葉篤紀森本稀哲が中心でしたが、今回は、ほかにも印象に残った選手について話しておきましょう。

 最初の秋季練習で、一番に食いついてきたのが、外野手の紺田敏正(現日本ハム二軍コーチ)です。バントのやり方を話していたら、「今まで聞いたことがなかったです」と目を輝かせて言ってきて、そこからいろいろと話すようになりました。ただ、あいつは足が速いし、高い身体能力がありましたが、打席でのねちっこさがない。パワーがないんだから、もっと相手が嫌がるバッティングをしなきゃいけないんですが、すごく淡泊に打つというのかな。マジメでいいヤツなんですが、「絶対、レギュラーになるんだ」という執着心がもう少しあれば、と思った選手です。

 ピッチャーで言えば、当時はダルビッシュ有(現パドレス)がエース格に成長してきた時期です(05年5勝、06年は12勝)。よそから来たコーチが珍しかったのか、よく話し掛けてきました。それで何のときか忘れたけど、ダルが「僕はウエート・トレで肩をつくります」と言ったんで、「いやいや、日本もメジャーも本当のエースはよう走ってるぜ」と言ったら、僕の言葉がきっかけかどうか分からないけど、自分から走るようになった。武田久と2人でいっつも外野を走っていましたね。

 打線の中心は、小笠原道大(現日本ハムヘッドコーチ)。彼は打撃に関しては、僕なんかが何かを言える選手じゃありません。素晴らしい。ただ、1つ走塁コーチとして口を酸っぱくして言わせてもらったのが「一塁にヘッドスライディングするな!」です。

 つい気持ちでいっちゃうんでしょうね。実際、それで球場は盛り上がるし、セーフになれば、チームの士気も高まる。でも、危ないでしょ。指や手首といった関節の弱い部分や、首を痛める可能性だってある。一歩間違えたら選手生命の危機です。

 あえてメリットを探せば、相手がボールをそらしたとき、そこからパッと立ち上がりやすいから、セカンドまで行けることくらいでしょ。でも、そんなの問題外くらいケガのリスクがある。だから「やるな!」と言うだけじゃなく、罰金を取ったこともあります。

 ホームだってそうですよ。ヘッドスライディングが闘志のあらわれみたいに思う選手も多いけど、当時は、今みたいにコリジョンルールがなかったから、キャッチャーとの衝突で何が起こるか分からない。しかも、打席の土はデコボコしているから簡単に突き指をしますしね。だから、これは小笠原だけじゃないけど、「ホームは足で行け!」と何度も言いました。

有言実行、GG賞!


 試合では一塁コーチに入りましたが、自分では三塁コーチより一塁コーチが合っていたようにも思います。一塁コーチって、一般の方は、もしかしたら何もしてないように見てるかもしれないですね。一塁の打者走者の防具を受け取っているシーンばかり映されるし(笑)。

 でも、意外とやることは多いんですよ。打者走者はどうしても打球を追って走るんで、一塁コーチが前の走者や相手野手を見ながら判断させなきゃいけないし、あとは盗塁ですね。投手の癖を見抜き、走者に教えるのも仕事でした。情報のない新しい投手だと、走者にリードを大きく取らせ、あえて、けん制をもらわせたりしました。「グリーンライト」(行けたら自分の判断で盗塁OK)の選手には僕からサインを出すこともあったけど、そうじゃなければ癖が分かったとき、ベンチに僕がサインを出します。それでベンチがOKなら三塁コーチから盗塁のサインが出るという流れでした。

 送りバントもよくさせましたよ。試合前、しっかり練習もさせてね。ヒルマン監督は最初、嫌がったけど、1つアウトはあげるけど、相手にアウト以上のプレッシャーを与えられることが分かって使うようになった。優勝が決まった後、ヒルマンからも「ありがとう」と言われました。

 ただね、当時の日本ハムの野球は、よく「スモールベースボール」と言われたけど、僕からすると、「なんで、これがスモールなんだ」です。細かい野球ではあるけど、どんどん走らせることも、ここぞの送りバントも決して消極的ではないでしょ。それに犠打が増えたのはあるけど、セギノール、小笠原はガンガン打ってましたしね。ホームランが出にくい札幌ドームを本拠地にしながら勝っていくために、三、四、五番以外は、必要ならバントをするという野球をしただけです。

 それで結局、1年目の06年は優勝、日本一。これはやっぱりうれしかった。前年と何が違ったのかと言えば、3人のコーチですからね。佐藤義則さん(投手コーチ)、淡口憲治さん(打撃コーチ)、そして俺。あのとき、日本ハムは外様の3人のコーチによって優勝したとも言われました。

 そうそう、これは前回、話すのを忘れていました。06年のパ・リーグのゴールデン・グラブ賞、当然、知ってますよね。僕が「3人で獲ろう」と言った新庄、稲葉、稀哲です。どうですか、有言実行のいいコーチでしょ(笑)。

PROFILE
平野謙/ひらの・けん●1955年6月20日生まれ。愛知県出身。右投両打。犬山高から名商大を経て78年ドラフト外で中日入団。88年西武、94年ロッテに移籍し、96年限りで引退。俊足堅守の外野手で86年に盗塁王、リーグ最多犠打は7回を誇る。通算1683試合、1551安打、53本塁打、479打点、230盗塁、打率.273。
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