
2018年も日本一に[写真=岡田浩人]
これもルーティン
群馬ダイヤモンドペガサス時代、ずっとやっていたのが、グラウンドの石拾いです。選手がアップをしているとき、バケツを持って石を拾いながらグラウンドを歩く。これはコーチ時代も含め、5年間、ずっと続けましたね。また、結構、でかい石がたくさんあるんですよ(笑)。途中からは、毎日のルーティンみたいになっていましたね。
あまりにエラーが多かったこともあります。きれいなグラウンドならイレギュラーもないから危なくないし、いい守備ができる可能性が高くなるでしょ。選手の心構えとしても、そういうところまで気にしたほうが絶対にうまくなりますしね。僕の姿を選手がどう思って見ていたかは知らないし、一緒に石を拾おうぜ、なんて言わなかったけど、少しずつ選手も拾うようになっていきました。全員じゃないけどね。
あと、これは独立リーグだからこそだけど、ゲーム中のグラウンド整備のときは、選手と一緒に
トンボを掛けていました。もちろん、整備の人もいたけど、みんなでやったほうが早いし、きれいになるでしょ。こっちのホームゲームでも、相手チームが手伝ってくれることもありましたね。
では
前回の続きです。この前は、2016年、ペガサスの監督1年目のBCL優勝、そして四国の愛媛を破ってのすったもんだの(笑)日本一の話をしましたよね。
NPBから指名がなかったことで、この年限りで抑えの堤(堤雅貴)は引退。彼が16年に挙げた21セーブは今もBCリーグの最多記録として残っているはずです。これも独立リーグですよね。NPBじゃ、歴代最高記録をつくった26歳の選手が、ケガもないのに引退なんかせんでしょ。堤はNPBでやる力はあったと思うけど、20代も半ば過ぎになると、やっぱり飛び抜けた何かがないと、なかなか声はかからないですね。
でも、すごいと思います。最後の勝負と決めた年に最高の結果を出すなんて。あいつは引退を決意したあと、僕に感謝してくれたけど、僕だって感謝です。あの年は、堤がいたから優勝できたと思います。いや、堤も、かな。みんな本当に頑張ってくれましたからね。
あいつの21セーブは、この年、セットアッパーをしていた左腕の山崎(山崎悠生)が、信濃に移籍してから並んだはずです。あいつも先輩に遠慮して抜かなかったのかな(笑)。山崎は今、社会人のミキハウスで頑張っているようですね。
5年間楽しかった
16年のシーズン、最後は苦しい戦いになりましたが、チーム初の日本一をつかんだことで選手がすごく自信をつかんだし、何より勝つ喜びを分かってくれた。これが大きかったですね。喜びが分かれば、また勝ちたいと絶対に思うし、今まで以上に野球に集中しますからね。
とはいえ、これも独立リーグだからですけど、優勝しても選手は半分近く変わりました。さっきも言いましたが、勝ちパターンの継投だった山崎が信濃に移籍し、堤は引退。ほかにもやめてもらった選手や、もうNPBは無理だと思ったり、個人の目標を達成して、自分からやめる選手もいた。これはもう仕方ない。経済的にもBCの収入だけでやっていけるわけじゃないし、次の人生のほうがずっと長いわけですしね。「よくやったな、ご苦労さん」と笑顔で見送るときがほとんどだったけど、「かわいそうにな、もっとやりたかっただろう。何かもっとしてやれたことがあったんじゃないかな」と思って見送るときもありました。これはプロ野球も同じですけどね。
続く17年、僕としては16年と同じく守り勝つ野球を目指したんですが、結果的には打ち勝った試合が多かったですね。
カラバイヨ、井野口(
井野口祐介)が残っていたんですが、この2人がとにかく打ちまくったから。2人とも打率は4割近かったと思いますよ(カラバイヨが.375、32本塁打、井野口が.387、16本塁打)。これだけ打つと、大差でリードするゲームも多くなるから、多少雑にはなりますよね。ただ、エラーは減りました。というか、16年が多過ぎたのかな(苦笑)。見ていて「あ、球が飛んだ。あ、またエラーした」みたいな感じでしたからね。これはコーチの
高橋雅裕のおかげもあります。僕みたいなチャランポランなタイプじゃなく、マジメに根気よくやってくれましたからね。彼にも感謝だな。
あの年のチームも強かったですよ。前後期優勝もし、日本一連覇もできると思ったんですが、プレーオフの東地区チャンピオンシップで福島に負けた。理由? カラバイヨがいなかったんですよ。プレーオフ前の練習のとき、「奥さんの出産があるんで、帰国します」って突然言われてね。「マジか、もう少しなんだから残ってくれよ」と思ったけど(笑)、これは国民性の違いもあるし、何も言えないですよね。
言い訳になりますけど、また、こういうときに限って四番にチャンスが回ってくるんですよね。「カラバイヨがいたらな」って何度、思ったか。BCの中では彼の実力は段違いだったんで、いるかいないかで雲泥の差がありましたからね。
この悔しさもあって18年はまた日本一になって、19年は前期だけ優勝し、その年が終わって辞めた。コーチ1年、監督4年ですね。いきなりインフルエンザになったり、熱中症でぶっ倒れたり、血圧が上がって医者に「このままなら死にますよ」と言われたこともあったなあ。バスの移動は大変だったし、言うこと聞かない選手がいたりで(笑)、よく怒ったし、しんどかったことも多かったけど、たくさんのご褒美ももらいました。どのくらい胴上げしてもらったのか分からないくらいですしね。
楽しい、幸せな5年間でした。すごくいい経験をさせてもらったと思います。お世話になった、たくさんの方に感謝です。
PROFILE 平野謙/ひらの・けん●1955年6月20日生まれ。愛知県出身。右投両打。犬山高から名商大を経て78年ドラフト外で
中日入団。88年
西武、94年
ロッテに移籍し、96年限りで引退。俊足堅守の外野手で86年に盗塁王、リーグ最多犠打は7回を誇る。通算1683試合、1551安打、53本塁打、479打点、230盗塁、打率.273。