2016年、ガンのステージ4の宣告を受けながら、うつむくことなく、前向きに病気と闘い続けた。最近は新型コロナ禍でお会いできなかったが、本誌の連載も先週号まで休むことなく続けていただいた。大島さん、いくら何でも突然過ぎますよ……。 
中日時代の大島さん。グラウンド外では明るく、練習では笑顔も見せたが、試合中の表情は常に厳しかった
最後まで貫いたもの
「最後まで大丈夫、大丈夫とそればかりでした。でも、苦しまなかったんですよ。それはよかった。眠るみたいにすっと……」
連載『負くっか魂』で“ナオミさん”と呼ぶ夫人が、泣き笑いの顔で話してくれた。
大島さんとは亡くなる、ほんの数日前、編集部の連載担当・藤本が電話で定例の打ち合わせをしている。そのとき「少し話すのがつらそうだった」と言っていた。
「寝ていることが多かったんですが、取材の電話が入る予定の時間はしっかりメモしていて“そのときは必ず起きるから”って……。音が気になると思って電話の線を抜いていたんですが、怒られちゃいました。野球中継も途中で寝てしまうんですけど、始まったら、じっと見ていた……」
ナオミさんは「ずっと元気でしたし、もう少し(病気と)付き合いながらやっていけると思ったんですが」とも話していた。
何も予感していなかったわけではない。連載を始めたきっかけ自体が、S状結腸ガン(大腸ガン)で肝臓にも転移し、ステージ4を宣告され、手術を受けたことだった。ただ、連載1回目に「ガンになったからとうつむく必要はない」とあるように、大島さんから病気に対する弱音や愚痴は一度も聞いたことがない。
新型コロナ禍の流行前は幾度となくご自宅にお邪魔をしたが・・・
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