今年でプロ20年目を迎えたヤクルトの石川雅規。41歳となったが、常に進化を追い求める姿勢は変わらない。昨年まで積み上げた白星は173。200勝も大きなモチベーションだ。歩みを止めない“小さな大エース”の2021年。ヤクルトを愛するノンフィクションライターの長谷川晶一氏が背番号19に密着する。 嬉しさと安堵感が入り混じった気持ち

6年ぶりの優勝を決めて胴上げされる高津監督
2021(令和3)年10月26日――。この日、
高津臣吾監督率いる東京ヤクルトスワローズは、2015(平成27)年以来となるセ・リーグ制覇を果たした。歓喜に沸くヤクルトナインの中に、プロ20年目を迎えていた石川雅規の姿もあった。
「ずっとベンチ裏のモニターで、甲子園の
阪神対
中日戦を気にしながら観戦していました。優勝が決まった瞬間、嬉しさとホッとした気持ちが入り混じっていました。ふがいなかったあのゲームの後、みんなが本当にすばらしいゲームをしてくれたので、優勝の瞬間は全身から力が抜けるような脱力感がありましたね……」
興奮気味に喜びを語る一方で、その口調は少しだけトーンが下がった気がした。石川が語る「ふがいなかったあのゲーム」とは、優勝の3日前となる10月23日、マジック3で迎えた
巨人対ヤクルト戦のことだった。
この日、中6日で東京ドームのマウンドに上がった石川は、プロ入り最短となる1/3イニングでKOされていた。打者7人に対して34球を投じ、
丸佳浩のスリーランホームランを含む4失点。この結果を踏まえて、「ふがいなかったあのゲーム」と口にしたのだった。1回裏にマウンドに上がってから降板するまで、どこにも普段の「石川らしさ」が見えなかった。あの日の石川には、何が起こっていたのか? マウンド上で彼は何を思っていたのか?
本人が振り返る10月23日、わずか1/3でのKO劇

“どんな状態であろうとも、試合を作ろう”という思いでマウンドで腕を振ったが……
「試合前には気合いも入っていたし、気持ちの高ぶりもありました……」
石川は淡々と切り出した。
「……ここ数試合、ちょっと身体がへばってきていて、本来のピッチングはできていなかったけど、マジックは3になっていたし、チームはイヤな負けが続いていたので、“どんな状態であろうとも、試合を作ろう”という思いでした。でも、結果的に最悪な形で試合を壊すことになってしまいました……」
シーズン最終盤。当然、疲れも蓄積していた。しかし、本人の言葉を借りれば「この時期に痛いとかかゆいとか言ってられない」状況下では、ベテランらしい老獪なピッチングで巨人打線を封じ込めて、ゲームメイクしなければならなかった。しかし、この日は立ち上がりからおかしかった。本来の出来からはほど遠かった。
巨人の先頭打者・
松原聖弥にはツーボール・ワンストライクから、逆球になったストレートをレフト前に弾き返された。続く、二番・
坂本勇人にはさんざん粘られて10球目をレフト前に運ばれた。松原の好走塁もあって、あっという間に無死一、三塁のピンチとなった。
「全然、自分のボールを投げられなかったですね。自分では冷静でいるつもりだったんです。でも、マウンド上で、“あれ? 投げれてないぞ”という思いもありました。いきなりヒットを打たれる。きわどい判定でカウントが苦しくなる。“きちんとストライクゾーンに投げなければ”という思いで自分の球を投げ切れない……。そんな状況でした」
石川の言う「きわどい判定」とは、坂本に投じた9球目のアウトコースへのスライダーのことだった。ボールゾーンから右打者のアウトコースギリギリを狙うバックドア。「ストライク」と判定されてもおかしくないボールではあったが、無情にも判定はボール。ストライクを取りにいかざるを得なくなった10球目を痛打されることとなった。
「カウントを悪くする。打者に粘られる。そうすると、投げるボールがなくなってくるんです。ストライクゾーンに投げるにしても、厳しいコースを狙いづらくなる。ますます打者有利になって、自分優位の場面を作り切れなかった。それがこの日のすべてです……」
三番・丸佳浩にはツーボール・ツーストライクからの5球目を完璧にとらえられた。打球はあっという間にライトスタンドに飛び込む先制スリーランホームラン。いきなり石川は窮地に追い込まれることとなった。しかし、この日の最大の「敗因」は、丸との勝負ではなかった。続く、四番・
岡本和真の打席にあった。
「丸選手にホームランを打たれて、三塁側ベンチからトモさん(
伊藤智仁ピッチングコーチ)がマウンドにやってきました。そこで、“さぁ、ここから、ここから!”と言葉をかけてもらいました。僕自身も、“ここで切り替えなくちゃ”とわかっていたし、そうするつもりでした。正直、これまでにも初回に3点以上、取られたことは何度も経験していますから(苦笑)。でも、ここで岡本選手にもフォアボールを与えてしまった。この場面が、この日のポイントだったと思います」
この反省を生かして、石川はどんなピッチングを見せるのか?

プロ入り最短の打者7人、1/3イニングでマウンドを降りた
石川の説明はさらに続く。
「……あの場面でもう一度、きちんとリセットして地に足をつけてしっかりとゲームを作っていけたら、また違った結果になったと思います。大事なゲームであればなおさら、切り替えなければいけないのに、それができなかった。そのふがいなさと、情けなさ……。“もっとやりようがあったのでは……”という思いをすごく感じた1日となりました」
五番の
ゼラス・ウィーラーこそセンターフライに打ち取ったものの、六番・
中田翔にレフトにツーベースヒットを打たれ、七番・
大城卓三にはデッドボール。あっという間に一死満塁のピンチとなったところで降板を余儀なくされた。わずか打者一人をアウトにしただけでのノックアウト。プロ最短となる1/3イニング、今季初登板となった東京ドームでの防御率は108.00という結果となった。
緊急登板となった二番手の
大西広樹を含めて、この日のヤクルトは5人の中継ぎ投手の投入を余儀なくされることとなり、試合は11対1で完敗した。マジックを減らすどころか、中継ぎ陣にさらに負担をかけることとなった。ベンチからこの光景を見つめ続けていた石川は、この日をどう振り返るのか?
「いたたまれなさ、ふがいなさはもちろん感じています。でも、自分で招いたことなのは間違いないし、プロである以上、批判を受けるのも当然のことなので、あの日の僕ができることはベンチから目の前のみんなを全力で応援することだけでした。ものすごく責任を感じました。本当に試合が長く感じられました……」
こうした思いを抱き、「次回こそは」と決意を新たにした中で迎えたのが、冒頭で紹介した10月26日、横浜スタジアムでのセ・リーグ制覇だった。わずか3日前の「屈辱」があったからこそ、歓喜の瞬間が訪れた際に、「全身から力が抜ける感覚」を体感したのだった。それでも、チームは見事に激戦を制した。そして、それは石川にとっては15年以来となる、プロ2度目の優勝となった。
「15年シーズンは自分も開幕からローテーションを守って、ある程度結果を残した(13勝)上での優勝でしたけど、今年は開幕二軍スタートで、シーズン途中からの参加だし、勝ち星も4勝しか挙げていません。それでも、自分の中では手応えを感じるピッチングも数多くありました。だけど、《優勝》という嬉しさは変わらないけど、“もっと貢献できたんじゃないか……”という思いはやっぱり強いですね」
優勝の喜びの半面、シーズンを通じて「もっと貢献できたんじゃないか」という思いもある。しかし、チームはこれからが本当の勝負の時期を迎える。クライマックスシリーズ、そして日本シリーズ、石川が貢献する機会はまだまだ訪れる。
「クライマックスシリーズまでにはまだ時間があるので、一つずつ、自分のできることを潰していくしかない。やれることをすべて潰していったときに、“自分はこれだけやってきたんだ、絶対大丈夫”という安心感が生まれます。正解はないけど、先日の東京ドームの試合を引きずることなく、でも、きちんと反省を生かさなくちゃいけない。そんな思いで、次の登板に臨みたいと思います」
歓喜の瞬間はほんの一瞬だけだ。選手たちの視線は、すでに次なる戦いを見据えている。プロ20年目、2021年シーズンはさらに続く。例年よりも、まだまだ野球ができる喜びと幸せを噛みしめつつ、石川は静かに闘志を燃やしている。次のマウンドに立つとき、石川はどんなピッチングを見せてくれるのだろうか?
(第九回に続く)
取材・文=長谷川晶一 写真=BBM 連載一覧はコチラから