8年ぶりのBクラス。その責任を取る形で工藤公康政権は幕を下ろし、10月27日の退任会見では7年の歴史を振り返った。いろいろと揺れた後任人事だが、再建を託されたのは、チームをよく知り、今季は二軍監督として指揮を執った藤本博史氏。そして、10月29日の就任会見で明かされたのが、王貞治会長の『特別チームアドバイザー兼任』だった。 ※情報は10月29日時点 信念を貫いた7年間

“故郷”福岡への恩返しで、たくさんの歓喜をもたらした[(C)SoftBank HAWKS]
一つの時代が終わりを迎えた。そのときが来てあらためて感じるのは、工藤公康監督が成し遂げてきたことの大きさ。どんなときもチームを第一に考え死力を尽くす指揮官の下、チームは着実に強くなっていった。
2015年から昨年まで3度のリーグ優勝に、5度の日本一。しかも日本一は17年から4年連続で、パ・リーグ史上初の偉業だ。特にポストシーズンにおいて無類の強さを発揮していたことも付け加えておこう。その強さゆえに、工藤監督は「短期決戦の鬼」という異名をとっている。
だが、5年連続日本一を目指した今季、相次ぐ離脱者の影響は大きく、チームの歯車は狂い、なかなか機能しなかった。これまでと異なり、指揮官の采配がことごとく裏目に出るケースも。常に勝つことを宿命づけられ、監督自身、勝利への執念が強かったからこそ、その責任を誰よりも感じた。当初から球団は、結果にかかわらず続投を要請。しかし、10月初旬には決断していたという指揮官の意思は、最後まで固かった。
しばらくして退任の報道も流れたが、それでもシーズンが終わるまで目の前の1勝にこだわり続けたのは、勝つことが工藤監督にとって、チームにとっての信念だからだ。シーズン最終戦の翌日、10月26日に球団から正式に退任の発表がなされ、27日に開かれた会見。冒頭のあいさつで「幸せな7年間を過ごすことができた」とすがすがしく振り返った指揮官は、退任の理由をこう語った。
「敗戦の責は将が負うものだというのが僕自身あった」
勝てなかったのだから辞める――。引き際は実に潔かった。
また・・・
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