今回は厳しくも楽しい春季キャンプの思い出をお願いした。今年は新型コロナ禍もあって一軍はずっと沖縄だったが、昭和の野球ファンには、カープのキャンプ=日南のイメージも強いのではないか。 構成=井口英規 
小早川さんを先頭に走るカープ軍団
トイレでしゃがめない!
――次に春季キャンプの話をお願いできますか。まずは宮崎・日南を。海沿いで、風光明媚、きれいなところですよね。
金石 はっきり言って、もう行きたくない。いや、日南にじゃないですよ。あのキャンプはもうやりたくない(笑)。
川口 きつかったからね。
金石 とにかく走って、あとは筋トレ、強化運動でしたね。
川口 今みたいにオフに体を維持してキャンプに入る時代じゃなかった。せいぜいゴルフくらいだから、オフに体の筋肉がほとんどなくなっている。自主トレで少しずつ戻して、キャンプでガンガンやってという感じだったね。
金石 あのときは第1クールの練習に耐えるために自主トレがあったみたいな感じでしたね。
川口 カープのコンセプトはケガをしない体づくりだったしね。キャンプの最初は筋肉痛で階段の上り下りがきつかった。特に降りるとき。
金石 しゃがめないから和式のトイレは後ろに手をついてやっていました(笑)。
川口 まだ洋式はなかったからね。でもさ、カープのキャンプはシステムがちゃんとしていて、第1クールはほとんどボールを投げず、ランニング、トレーニングを徹底的にする。第2クールからピッチングが始まり、第3クールで紅白戦、第4クールで緻密なことをやっていく、という順番だったね。その流れが分かってからは結構、平気だった。体が慣れるのもそうだし、ずっとじゃなく、しんどいのは第1クールと分かっていたからね。
金石 それは一軍クラスのピッチャーだけです。僕らが二軍にいた時代はずっときつかったですよ(笑)。
小早川 野手もずっとですよ(笑)。
川口 確かに平気は言い過ぎたか(笑)。思い出してみると、毎日のアップからしてきつかったな。2時間だからね。ジャイアンツに行ってアップが30分で終わってビックリした。カープは、まずみんなで「一、二、そーれー」って声を掛けながらグラウンド10周してね……。
金石 軍隊です(笑)。
川口 そのあとポール&ポールを5往復して、やっとランニングが終わるんだけど、もう、その時点で体はボロボロ。そのあとに腹筋、背筋とやって2時間。もうアップじゃないよね。なんだこれはと思いながらやっていた。
金石 キャンプが始まるとホントに憂鬱(ゆううつ)だったですよ。
川口 でも一番走るのが、この男(金石)だった。この間も言ったけどカモシカのように走る。すごいですよ。ストライドが大きいからついていけなかったよ。
金石 二軍でくすぶっていた時期は、野球で目立つのか、動きで目立つのかというか。コーチの目に留まりたい一心で、走るときは全力で走って、バッティングピッチャーをやれと言われたときも全力で投げていましたね。
――沖縄キャンプと日南はどういうバランスでしたか。
小早川 僕らのころは自主トレから沖縄でやって2月中旬に日南に移動していました。
金石 タケのころはそうだったかもしれんね。最初は、ずっと日南だった。
川口 沖縄って、雨天練習場が小さいものしかなかったから、雨が降るとほとんど練習できないんだよね。一度、雨ばかりで全然練習できなかったのに優勝したときがある。「あれ? ほんとはあんなに練習する必要ないんじゃないの」と思ったよ(笑)。でも、沖縄の食べ物がちょっと合わなかったのもあったけど、俺は日南がよかったかな。
小早川 僕も日南は食べる物がおいしい印象があります。地鶏だとか。
金石 油津港もすぐそこにあったしね。
小早川 魚ももちろんおいしいし、焼き肉もね……戸村っていう。
川口 戸村、あったな!
金石 最初のころはほんと小さな店だったのに、今はスーパーもやってるビルですからね。
休日なしの年も
小早川 沖縄は1つのホテルを貸し切っていたんですけど、日南は・・・
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