1980年代にセ・リーグに在籍した助っ人外国人選手は全部で78人(支配下登録選手のみ)。複数年で活躍した選手から、1年のみで強烈なインパクトを残した選手まで、それぞれ。何人の助っ人選手たちを覚えていますか? ※ポジションは登録のもの。成績は80年代のセ・リーグ球団在籍時の通算成績 ライトル(広島1977-82) 強肩、巧打の超優良助っ人

ライトル外野手/アメリカ/通算384試合、429安打80本塁打、257打点6盗塁、打率.289
主に三番を打ち、1979、80年の連続日本一に貢献した好打者。81年にはリーグ最多の157安打をマークするなど、アベレージヒッタータイプだったが、
広島市民球場が狭かったこともあって、同年には33本塁打を放っている。80年の日本シリーズでは3本塁打、打率.400でMVP。強肩も有名で、ライトの守備では、ヒットでも走者に2つ先の塁を許さない場面がよく見られた。78年から81年まで4年連続ダイヤモンドグラブ賞。
ガードナー(広島1981-82) 前代未聞のホームベース踏み忘れ
来日1年目の1981年は、打率.281、26本塁打、77打点。打順は下位打線が多かったが、まずまず及第点の成績を残した。ただ、その名を最も有名にしたのは、この年7月19日、大洋戦(横浜)での「ホームベース踏み忘れ事件」。3ランホームランを放ったはずが、次打者との握手に気を取られたか、なんとホームベースを踏み忘れ、相手のアピールで三塁打とされた。82年は・・・
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