兵庫・小野高、慶大で活躍し、東京六大学リーグ戦では早大・和田毅(ソフトバンク)と真剣勝負を演じた元フジテレビアナウンサーで現スポーツアンカーの田中大貴は、1980年生まれの「松坂世代」の1人。そんな野球人・田中が、同年代の選手たちをプロ野球現場の最前線で取材、至極のエピソードをコラムにして綴る連載第42回です。 
シダックスから日本ハムへ。後列右から3人目が小山
松坂大輔を下支え
「本当に長い年月、お疲れ様でした」
松坂大輔の引退を知った際、
小山桂司は本人にLINEでこのようにメッセージを送ったそうです。“長い年月”という言葉が私の心に響きました。2021年の松坂引退発表は、あの衝撃の98年から23年、実に四半世紀近い時が過ぎていました。彼は現役としてずっとプレーしてくれる……そう思ってしまう自分がいたのも事実です。
小山が
東北楽天ゴールデンイーグルスで現役を引退したのが15年、35歳を迎える年でした。その後、ブルペン捕手として楽天でプレーする前に3年間(09年~11年)所属していた
中日ドラゴンズで、ブルペン捕手としてチームを支えます。そして18年、ソフトバンクを退団した松坂がドラゴンズの入団テストを受け、合格。現役選手とブルペン捕手という形で同じユニフォームに身を包み、松坂のボールを受けることになります。
「ご縁がありました。僕がドラゴンズでブルペンキャッチャーをやっていたときに、同じチームになることができました。同世代として近くで応援することができて、本当に良かったです」
40代を目前とした松坂の投球練習をすぐ近くで、それこそ、復活を信じ、祈るような思いで、そのボールを受け続けたのだと思います。そして松坂はドラゴンズに所属した最初のシーズンで6勝(4敗)を挙げ、見事に復活を遂げます。ソフトバンク時代の16年は一軍での登板が1試合、そして17年はプロ生活では人生初の一軍での登板がありません。そんな状況からの復活劇でした(カムバック賞を受賞)。
ドラゴンズには小山のほかに、野手で
工藤隆人、チーム広報として活躍していた
小林正人らも在籍していました。グラウンドを離れても、あの98年の夏、激闘を演じたPL学園高の本橋伸一郎(PL学園高-日大)が名古屋におり、ほかにも・・・
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