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ダンプ辻のキャッチャーはつらいよ

連載ダンプ辻コラム 第108回「僕が高橋一三を得意にした理由は目をつぶったことです」

 

阪神キラーとも言われた巨人高橋一三


協力に感謝


 この間は松井(松井秀喜。元巨人ほか)のバッティングの話をしましたよね。ボールの上っ面をたたいているように見えるのに、ゴロじゃなく、ものすごいホームランになるという話です。プロの世界にいると、そういう常識とは違うプレーを時々見ます。たとえば、古田(古田敦也。元ヤクルト)の二塁けん制です。どうしたってシュート回転しているのに、ピシッとセカンドに真っすぐ行くんですよ。もう僕はコーチ時代でしたが、不思議に思って近くで観察していて分かった。要は球が強過ぎて曲がる前に届いちゃうんですね。すごい腕の力です。同じのが江夏(江夏豊)の阪神時代のカーブ。腕の振りが速過ぎて、球が曲がる前にミットに入ってしまう、これもバッターにしたら不思議な球だったと思います。

 江夏と同じころに活躍した左ピッチャーに巨人の高橋一三がいます。20勝を2度(1969、73年)達成した投手で、阪神は当時、左バッターが多かったこともあって苦手にしていました。ただ、実際、右バッターも高橋をあんまり打てなかった。外側に逃げていくアウトローへのスクリューボールがあったんですよ。あれに手を出して空振りしたり、ゴロを打ったりしていました。

 そこでまた、数少ないバッティングの自慢ですが(笑)、僕は苦手じゃなかった。なぜか分かりますか? スクリューが分かったんですよ。高橋はスクリューを投げるときクセがあった。テークバックは同じなんですが、そこから前に出すとき、腕がすっと下がるんです。だから僕は、腕が下がったと思ったら、一度、目をつぶりました。そしたら振りたくても振れんでしょ。スクリューは真っすぐのタイミングで来て緩いから、じっと見てると、つい手が出てしまうんですよ。見送ったら大概ボールですし、もともとコントロールがいいピッチャーじゃなかったんで、そのあとカウントを取りにきた甘い球を打たせてもらいました。

 高橋で思い出す試合は2つあります。1つは江夏が奪三振の日本記録をつくった試合です(68年9月17日、甲子園の対巨人戦)。あいつ、試合前に「新記録は王(王貞治)さんから」と宣言していたのに、間違ってタイ記録を王さんから取っちゃったんです。それで、そこから1回り三振を取らずに、王さんから新記録の三振も取るという物語が始まった。一番難しかったのが、先発した高橋から三振を取らないことでしたが、最後は2ストライク1ボールから、果敢にも勇気を持って低めの球を打ってくださり、内野ゴロでした。普通なら打たないで見送って三振だったと思いますよ。そのあと無事、王さんから新記録達成でしたが、ご協力の奇跡でありました。高橋はもう亡くなってしまいましたが、今さらながら、ありがとうございます。

読みの打者・武上


 高橋のスクリューみたいに、昔のピッチャーはこれだけは打たれんという変化球を持っている人がたくさんいました。その中でも超一流の人は、高橋みたいにボール球にならず、ストライクが100%近い確率で取れた。だからカウントが悪くなったら必ず真っすぐを投げて、打者に狙い打たれることもないわけです。

 例えば、巨人にいた西本(西本聖)のシュートとか、阪神で言えば、村山(村山実)さんのフォークですね。村山さんはノースリーになってからでも、フォークのサインを出すと簡単に3球で三振にしました。あの人のフォークは上から投げてストンと落ちる球と、手を少し下げて投げて、浮くように真っすぐ来てから落ちる球の2つがありましたが、どちらもワンバウンドなんて絶対にしない。僕がミットを構えていたら、そこにポンと入ってくるありがたい球です。

 おっと、また脱線しそうでした。高橋で覚えている2つめが、昭和48年(73年)、巨人が優勝した試合です(10月22日、甲子園)。阪神も勝てば優勝の最終戦でしたが、0対9の大差で負けて、試合後、お客さんが雪崩れ込む大変な騒ぎになりました。この試合の相手の先発が高橋で完封勝利をしています。

 でもね、最後の試合はあっけなかったけど、それまで阪神もいい勝負をしていたんですよ。一番すごかったのは、高橋が投げた試合じゃないけど、後楽園で10対10の引き分けになった試合です(10月11日)。阪神が7対0とリードしたのに、巨人が萩原(萩原康弘)君という代打の3ランで逆転し、また阪神が追いついた試合です。僕は、もう半分コーチみたいなもんで試合にも出ていませんが、萩原が、この連載を読んでるらしく「一度出してくれ」と言っていたんで話しておきます(笑)。

 巨人のサウスポーと言えば、新浦(新浦壽夫)もいましたね。マスターズ・リーグで一緒になって、いろいろ話をするようになりましたが、現役時代は大して対戦してないと思います。速いというより、くせ球というのか、くしゃくしゃの球を投げるピッチャーでした。あとは、とにかく汗っかきでね。ふつうの人は水を飲むんですが、新浦はサイダーを飲んで、滝みたいに汗をかいていたのを思い出します。巨人を出てから韓国でやって、最後は大洋やダイエー、ヤクルトでも投げていましたが、今は生まれ故郷の静岡で、高校野球を教えているそうです。野球が大好きな男ですから、きっといつかプロに行くような素晴らしい選手を育ててくれるんじゃないですかね。

 そうそう、ヤクルトに僕と江夏のバッテリーが相手だとすごく張り切る人がいました。1歳上で、中大から河合楽器を経て入った武上(武上四郎)さんです。小柄なセカンドの選手で、重心を軸足に残すような打ち方する右打者でした。印象としては、よく打たれたというより、ここで打たれたら嫌だなというところで痛打されたというものです。

 読みを大事にするバッターで、打席に入ってきたとき、「ダンプ、行くぜ! お前と読み合いをするのが楽しみでな」とよく言っていました。僕も戦いを楽しみにしていたバッターでしたね。60歳過ぎ(61歳)で早くに亡くなられたのをしばらく知らなかった。お悔み申し上げます。

PROFILE
辻恭彦/つじ・やすひこ●1942年6月18日生まれ。愛知県出身。享栄商高から西濃運輸を経て62年夏阪神入団。75年大洋に移籍し、84年引退。その後、大洋、阪神、横浜のコーチを歴任した。通算974試合、418安打、44本塁打、163打点、打率.209。ダンプの愛称は同姓の捕手・辻佳紀がいたためでもある。
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