
横浜時代の近藤監督
ボートが漕げそう?
ヤクルトの優勝が決まる前の日(9月24日)、大雨で神宮の外野が大変なことになっていましたね。フェンス際に水がたまって池みたいになって、ボートが出せそうでした。
見ていて思い出したのが、
阪神から大洋に移籍した昭和49年(1974年)暮れから住んでいた家です。あのときは大洋のヒゲ辻さん(
辻佳紀)との交換トレードだったんですよ。ヒゲさんは阪神で一緒だった先輩ですが、昭和45年に近鉄に移籍して、49年の1年だけ大洋にいました。吉田(
吉田義男)さんが阪神の監督になった年でもありましたが、吉田さんはヒゲさんと仲がよく、戻す約束があったようです。
それで僕が交換要員になり「ヒゲ─ダンプ」の「辻─辻トレード」となったわけです。もちろん、語呂合わせで決めたわけじゃないですよ。このとき大洋の横田茂平社長は「内野手や外野手でもない。試合に出てない捕手をお願いします」と阪神に言ったそうです。これはもう、僕の指名みたいなもんですよね。なぜか知らんけど、横田さんは僕をずっと評価してくれていたようです。
大洋時代も家族ともどもかわいがっていただき、時々、普段食べたことのないクジラのいろいろな部位のお肉もいただきました。ほんとおいしかったです。社長が亡くなったときには人生初めてでしたけど、葬儀で弔辞を頼まれ、ずいぶんびっくりしたものです。
話を戻しますけど、川崎市の等々力にあった大洋ホエールズの合宿所横に外国人選手専用の大きな住居があって、それを借りることができました。もともとは立派な建物だったんでしょうが、すでにかなり古くなって、外国人選手も住みたがらず、空いていたようです。僕の家族は5人でしたが、広さは申し分なかったんですよ。古いんで隙間風がビュンビュン入ってきたり、等々力公園から砂埃(ぼこり)が飛んできて、容赦なく家の中に入ってきたりしましたけどね。
雨のときもひどかった。家の前はグラウンドだったんですが、雨が降ったときなど、水たまりどころではなく、ボートを漕いで遊べるくらい雨水がたまっていました。そんな場所で4年間暮らしましたかね。
5年目に引っ越して、今の家になりましたが、元
巨人の選手でライターになった滝(
滝安治)さんが、選手の家の写真を載せる企画で取材に来たことがあった。でもね、載ったのはよかったんですが、順番が巨人の江川(
江川卓)の大豪邸の次。我が家の小ささが目立つ、目立つ(笑)。順番を考えてくれたらいいのにね。
阪神から大洋への移籍は、もう1度あって、このときは阪神のコーチ時代でしたが、近藤(
近藤昭仁)さんから電話があって「来年(93年)ベイ(ベイスターズ)の監督をするから一緒にやってくれんか」と言ってくれた。大阪は単身赴任だったし、そろそろ横浜に帰りたいというのがあって、阪神に断りを入れました。
しかし、そのまさに翌日です。また近藤さんから電話があって、今度は涙声になっていた。スポンサー的なテレビ局の方から、僕が就くはずだったバッテリーコーチに大矢(
大矢明彦)を頼むと言われて、何度も抵抗したがダメだったということです。正直、もう1日早く言ってくれたら阪神に残る道もあったと思ったけど、仕方がないですよね。ただ、大洋は二軍のコーチもみんな決まっていたんで、僕をどうしようとなったらしい。結局、僕のために新人が入ってきたとき故障をしないように指導をしていく育成部というのをつくってくれ、そこのコーチになりました。いわゆる三軍ですよね。たまたまできたものではありますけど、結果的に12球団で初めての試みになったと思います。
近藤さんには在籍中はいろいろ配慮してもらいましたが、少しチクリとした話もしておきましょうか。僕が横浜のコーチを辞めたあと(1998年オフ)、ある新聞社に遊びに行っていたときのことです。まあ、遊びと言っても就職活動みたいなもので、なんとなく解説の仕事がもらえそうな雰囲気でした。そしたら記者たちが急にざわつき出した。何だと思ったら「近藤さんが(
ロッテの)監督を辞めたぞ」の声がした。そしたら、そのすぐあとに近藤さんがその新聞の解説者になって、僕は仕事がなくなった(苦笑)。仕事が早いなと感心しました。
バッターの把握
この間、僕が現役のキャッチャーだったら村上(
村上宗隆。ヤクルト)をどう抑えるかという話をしましたよね。ついでなんで、ちょっと抽象的になりますが、僕が強打者を攻略していくために考えていたことについても話しておきましょうか。
まずバッターの分析ですが、コース、球種、球の速い遅いなどで、打つところ、打てないところを探るのは当然ですけど、その前提として、そのバッターのタイプを知っておく必要があります。同じような力があるバッターでも、完全に完成した強打者なのか、まだまだ途上なのかがあります。技術的には、ボールをインパクトまで見て打つタイプと、ボールを通り道でとらえ、遅れたら逆方向、前なら引っ張りになるタイプもいて、それぞれ攻め方も変わってきます。さらに、そのバッターの性格、調子の良し悪しを頭に入れておくこと。あとは味方投手の把握までは最低条件です。
加えて試合の状況もあります。勝負どころか勝負どころじゃないかは大事です。単に満塁になったとかだけじゃありません。ここは絶対打たれてはいけないという勝負どころを自分で感じ取れるのが一流の投手です。ただ、試合中は興奮状態になって、それが分からないピッチャーが多い。そのときは捕手がマウンドに行ったり、無理なら言葉や表情、そしてサインで伝えなきゃいけないわけです。特にマウンドに行くと、間ができますから、うまく使えば、試合の悪い流れを変えたり、こちらのペースに引きずり込むこともできる。
試合の状況ということでは点差もあります。ちょっと前に、
日本ハムの先発ピッチャーが好投し、1対0のまま8回裏、日本ハムの攻撃を迎えたときがありました。そこで追加点が入りそうな流れになって、アナウンサーが「ここで2点目が入ると楽になりますよね」と言ったんですよ。そしたら日本ハムOBの解説者が「すんなり終わらせるなら1対0のままのほうがいいですよ」と言って、僕は「ああ、こいつ分かってるな」と思ったんです。リズムよく来ている展開が、2点目が入ることで狂ったり、投手の緊張感が少しゆるんで打たれることって結構ある。僕が現役時代も、先発が頑張って1対0で終盤に来たとき、このまま完封させたいなと思うと、この解説者と同じく「1対0のままでいい。追加点取るなよ」と祈ってました。
PROFILE 辻恭彦/つじ・やすひこ●1942年6月18日生まれ。愛知県出身。享栄商高から西濃運輸を経て62年夏阪神入団。75年大洋に移籍し、84年引退。その後、大洋、阪神、横浜のコーチを歴任した。通算974試合、418安打、44本塁打、163打点、打率.209。ダンプの愛称は同姓の捕手・辻佳紀がいたためでもある。