セ、パの王者として1960年代後半から70年代にかけ、幾度となく日本シリーズで死闘を演じた巨人と阪急。両雄の中心となったV9巨人のエース、堀内恒夫氏と、阪急の斬り込み隊長、世界の盗塁王・福本豊氏は、福本さんが1947年生まれ、堀内さんが1948年の早生まれで同学年でもある。2人の豪華対談、今回は中編だ。 取材・構成=井口英規 写真=橋田ダワー、BBM 【前編】はこちら 
福本豊氏[写真左]、堀内恒夫氏[写真右]
巨人は負けたが負けてない?
──V9のあと、2位を挟み、
長嶋茂雄監督1年目の1975年の巨人は衝撃の最下位でした。
堀内 巨人はONで勝ってきた。それが74年限りでNが抜けて監督になり、王(
王貞治)さんもケガで開幕には出られなかった。ONがいないんだから最下位になって当たり前だよな。
福本 僕らの目標は巨人やったから、あのときはシーズン中、巨人を応援していた。巨人来い、来いって(笑)。
堀内 すまんな、行けなくて(笑)。
──翌76年、巨人は最下位からの優勝を飾り、日本シリーズで阪急と当たります。
堀内 張本(
張本勲)さん(
日本ハムから移籍)と
加藤初(太平洋から移籍)が入って優勝したと言われることがあるけど、2人だけで勝ったわけじゃないんだよ。王さんも戻ったし、あとはV9の出がらしもいた(笑)。それでも、阪急には勝てなかったけどね。阪急は円熟味があったしな。
福本 うん、場慣れしたというのかな。やっと勝てた。前の年(75年)に
広島と日本シリーズでやったときも、負ける気しなかったしね。
堀内 俺、2回目の阪急には1つも勝ってない(76、77年は7試合に登板も0勝1敗)。晩年だったからな。
──76年の日本シリーズはスリリングでしたよね。巨人が3連敗のあと3連勝し、しかも第6戦は0対7からの逆転サヨナラ勝利です。最後は後楽園の試合で、一気に巨人逆転ムードになりました。
福本 こっちが安心しちゃったんでしょう(笑)。でも、最後(第7戦)は、足立(
足立光宏)さんが、ふわふわと緩いボールで完投した。

76年、阪急はついに巨人を破っての日本一を飾った
──以前、足立さんに聞いたとき、「ONは2人いたから怖かった。1人だったらあんたが大将と歩かせればいい」と言ってました。
福本 ONを1人歩かせて、次、ガン! は何度もありましたからね。
──翌年も巨人に勝って、上田阪急(
上田利治監督)は75年から3年連続日本一です。
福本 上田阪急というか、ミスター(長嶋)がやめられてからだもん。それまでは王さんとミスター2人が並んでいく打線に何回やられたか。ミスターがおられたら・・・
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