ヤクルト、近鉄で活躍した鈴木康二朗元投手が2019年に亡くなっていたことが明らかになった。鈴木康二朗といえば、「王貞治(巨人)に通算756号本塁打を打たれた投手」として知られているが、もちろん、それだけの投手ではない。プロ野球界に残した偉大な足跡を振り返ろう。 文=キタトシオ 
ヤクルトが初優勝した1978年に先発の柱として13勝を挙げた鈴木
78年ヤクルト初V時の主力、近鉄では抑えの切り札
2月13日、1人のプロ野球選手の死が報じられた。鈴木康二朗。2019年に70歳で亡くなっていたという。
その死は大きく報道されたが、各紙の見出しはほぼ同じだった。「王貞治の通算756号被弾」、「王貞治さんの756号の相手投手」、「王の756号で対戦」……。
もちろん事実である。1977年9月3日、5万人の観客が詰めかけた後楽園球場でハンク・アーロンの通算755号本塁打の記録を超えるアーチを巨人の王貞治がかけたとき、マウンドに立っていたのは鈴木だった。プロ野球を超え時代を代表する名場面として、今でもそのシーンは繰り返し放映される。あの映像が流された回数は、累計すれば王の通算本塁打の10倍を軽く超えるのではないだろうか。それだけ多くの人々に印象を与えた「被弾」だったことは間違いない。
しかし、ヤクルト、近鉄で14年間プレーし、414試合に投げ、81勝54敗52セーブという成績を残した投手が、ただ「王貞治に756号目のホームランを打たれた男」としてだけ語られていいはずがない。
◎
鈴木は1949年、茨城県に生まれた。磯原高で甲子園に出場することはなかったが・・・
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