今年でプロ23年目を迎えたヤクルトの石川雅規。44歳となったが、常に進化を追い求める姿勢は変わらない。開幕前まで積み上げた白星は185。200勝も大きなモチベーションだ。歩みを止めない“小さな大エース”の2024年。ヤクルトを愛するノンフィクションライターの長谷川晶一氏が背番号19に密着する。 どうして、ここまで石川を絶賛するのか?
歯に衣着せぬ評論で本質を突く権藤
普通の投手は「イチ、ニノ、サン」で「さあ、行くぞ」という「気」が出る。「気」を消せる石川はすでに剣の達人の境地に至っている。 2023(令和5)年に発売された、
権藤博による『権藤主義』(小社刊)にはこんな一節がある。数々の球団でピッチングコーチを務め、1998(平成10)年には横浜ベイスターズの指揮官として、チームを38年ぶりの日本一に導いた名伯楽が語る「石川」とはもちろん、球界最年長の石川雅規のことである。さらに、石川の投球スタイルを称して、次のように表現している。
投げる気があるのかないのか、打者も戸惑ううちに球が放たれて、手元に来ている。名人級の打者の打法を「居合斬り打法」と私は表現している。ギリギリまで引き付けて打つので「打たないのかな」と思った途端にバットが出て、打球はスタンドへ。投手も同じで、やられる方も気づかないうちに斬られていた、という「居合斬り投法」を石川は身につけているわけだ。 歴戦の名伯楽はどうして、ここまで石川を絶賛するのか? 石川の凄みとはどういう点にあるのか? 質問を投げかけると開口一番、権藤はこんなことを口にした。
「あれだけすごいピッチャーは、そうそう出てくるものじゃない。彼ほど、偉大なピッチャーはいないですよ」
すでに傘寿を過ぎた権藤がしみじみと語る。続けて、
金田正一、
稲尾和久の現役時代を知る権藤に、「歴代の名投手と比較しても?」と尋ねた。
「もちろん、金田さん、稲尾さんは別格です。でも、名球会に入るような投手はみんな丈夫な身体を持って、天性の才能に恵まれた選手ばかりですよ。それだけの素材を持ってバンバン投げる。200勝を達成するのも当たり前です。“200勝達成しました”と言われても、“はい、そうですか。おめでとうございます”で済む。でも、石川の場合は、これまでのピッチャーにはないものを持っている、心から偉大なピッチャーだと思いますよ」
べた褒めだった。歯に衣着せぬ評論でズバリと野球の本質に迫る普段のスタイルからは想像できないほどの発言がしばらくの間続いた。
「勇気」がなければ、あのピッチングはできない
「勇気」を持ってチェンジアップを投げ込むのが石川の真骨頂だ
権藤の「石川評」は、なおも続く。
「恵まれた体格を誇ること。天性の強靭な肉体を持つこと。そして、誰よりも速いボールを投げること……。石川の場合は、そうではない別の素材でここまで投げ続けているわけです。もちろん、丈夫な身体を持っていたから、ここまで大きなケガもなく投げ続けてきたのは間違いないけれど、彼の場合は他のピッチャーとは違う土俵で戦ってきた。他のピッチャーにはない素材で戦ってきた。だから偉大なんです」
さらに、権藤は続ける。
「石川の場合は球速を超える何かを持っているから生き延びたんです。今、彼はいくつですか? ……44歳? 本来なら、とっくに引退していてもおかしくない。けれども、今も投げ続けているのは、球速ではない何かを持っているから。彼なら50歳、いやオーバーに言えば60歳まで投げられますよ」
山本昌と並ぶ50歳をはるかに超える、まさかの「60歳まで」発言が飛び出した。では、先ほどから彼が口にしている「別の素材」、そして「球速を超える何か」とは何か? 権藤の答えはシンプルだった。
「勇気です。勇気がなければ、あのようなピッチングはできない」
――勇気がなければ、あのようなピッチングはできない。
それが権藤の見立てだった。
「私はピッチングコーチとして、多くのピッチャーにチェンジアップを教えてきました。チェンジアップは技術じゃないんです、勇気なんです。緩いボールを投げるのは勇気がいるんです。腕を思い切り振って、“エイヤー”と力いっぱい速球を投げることは、それほど怖くない。でも、彼の場合はそれで勝負することができない。だから、自分なりにいろいろ工夫しながら、緩いボールを投げる技術を磨いてきたのでしょう。痛い目に遭いながら、長年の経験で身につけたもの。それは本当に勇気がいることです」
権藤によれば、歴代投手でそれができたのが阪急ブレーブスや
オリックス・ブルーウェーブなどで活躍した
星野伸之であり、現役で言えば
和田毅(
福岡ソフトバンクホークス)、
岸孝之(
東北楽天ゴールデンイーグルス)だという。
「技術的なことを言えば、それは《タメ》ということになります。普通のピッチャーが、“イチ、ニノ、サン”で投げるところを石川は、“イチ、ニーノ、サン”で投げることができる。この“ニーノ”があるから、相手バッターは自分のタイミングで気持ちよくバットを振ることができない。これは彼が自分の力でつかみとったものです。それだけでも、本当に尊敬に値するピッチャーです」
「自分の生き様を示すピッチングを見せてほしい」
かつて、
小久保裕紀が侍ジャパンの監督だったことがある。このとき権藤は、小久保に請われてピッチングコーチを務めた。その際に、「石川を代表入りさせよう」と進言したという。
「世界の舞台において、石川の技術は面白いと思ったからです。あの緩いボールがあるから、ストレートも落ちるボールも効いてくる。それは、メジャーリーガーにも通用する可能性がある。WBCでも通用すると思ったんです」
結局、実現はしなかったが、権藤はかねてから石川の「居合斬り投法」を高く評価していたのである。しかし、23年シーズンは2勝に終わり、24年は9月12日時点ではわずか1勝しかしていない。石川が目標としている200勝までは残り14勝となっている。現在の石川についてどう見ているのか? 少し考えた後、権藤はゆっくりと口を開いた。
「先のことなんて考えなくていいんじゃないですか……」
その口調には「現実的にはちょっと厳しいのではないか?」というニュアンスが含まれているのだろうか? 続く言葉を待った。
「……本人だって、まさかここまでやれるとは思っていなかったはずです。今、彼に求めたいのは、“いかに、自分の生き様を示すことができるか?”ということです。“200勝は無理だ”とは言いません。でも、そこに目標を置くよりも、“1試合、1試合、自分の生き様を見せること”を目指してほしい。彼の場合はすでに、《200勝》という数字以上の実績を挙げているんです」
決して「200勝は無理だ」とは思わない。けれども、「打線との巡り合わせで勝つこともあれば、負けることもある」と、権藤は繰り返す。
「勝敗については巡り合わせがあるから、自分の力でどうにもできない部分があります。でも、マウンドで自分の生き様を見せることは毎回できます。彼の場合は、“今も戦い続けている”という姿勢を示すこと。すでに今でも実践しているけれど、これからも示し続けること。勝つとか、負けるとか、すでに超越した存在なんです」
類を見ない負けず嫌いである石川は「投げるからには全部勝ちたい」と口にしている。しかしその一方で、球界の大先輩である権藤 は「これからも自分の生き様を見せるピッチングをしてほしい」と語る。球界のレジェンドから見れば、石川は「勝つとか、負けるとか、すでに超越した存在」なのかもしれない。しかし、現役を続ける限り、石川が目標とするのは「投げる試合は全部勝つ」ことであり、その先にある「200勝」という大目標だ。
「私は石川に期待しています。この先、彼がどんなピッチングを続けるのか? それを見届けたいと思っています」
石川の今後について、「それは自分自身で決めること」と権藤は言う。その上で、「彼はまだ試合を作ることができる。それができる間は1年でも現役を続けてほしい」と語る。それが、権藤博が石川に送る心からのエールだった。
(第三十六回に続く)
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