あまりにもすがすがしく、晴れやかな顔だった。10月23日、
巨人の
梶谷隆幸が都内で会見を行い、今季限りで現役を退くことを発表。「今年限りということで、腹を決めて決断した。長いようで、あっという間の18年。幸せ者だった」と胸の内を語った。
古傷の左膝は限界に達していた。「とにかく体がついていかなかった。少し前に決心を固めていて、それからは、後悔はないが寂しい気持ちだった」と明かす。
阿部慎之助監督に伝えた際は、「『限界か、カジ』と。(自分の)心中を察してくれて、愛情を感じた」と振り返る。
2007年に高校生ドラフト3巡目で横浜(
DeNA)に入団すると、13年に77試合ながら打率.346とブレーク。翌14年は初の規定打席に到達して39盗塁で盗塁王を獲得し、打率.323をマークした20年オフにFAで巨人へ加入したが、その後は度重なるケガに見舞われた。22年オフには育成契約となり、支配下に復帰した昨年は102試合に出場して復活を遂げたかに思えたが、再び体が悲鳴を上げてしまった。
それでも野球の魅力を問われると、「惚れたものに理由はない。野球に出合えて幸せ」だったと一言。「自分なりにやり切ることができた。DeNAで14年、巨人で4年。入団したときは18年もできるなんて考えられなかった。18年もできたことを誇りに思う」と口にした。
会見の最後には「ジャイアンツに来た理由は同学年の
坂本勇人と一緒にプレーしたかったというのがひとつ」というその坂本から花束を受け取り、さらにサプライズとして
長野久義、
菅野智之、
小林誠司らを筆頭にベテランから若手まで総勢11人が労いのために登壇したのは、梶谷の人柄あってのものだろう。「(移籍してからの4年間は)思い描いていたようにはいかなかったが、移籍してきてよかった。素晴らしい仲間たちと出会えて、一生の財産を得た」と笑顔を見せた。
今後について「球団からはありがたい話をいただいたが、一度少し野球から離れたいという思いを伝えた」と語り、「これから自分がどういう思いで、何をしたいかを真剣に考えて次の人生に向かっていきたい」と言葉を続けた。
数々の超人的なプレーでファンを沸かせてきた名手の、第2の人生での活躍に期待したい。
PROFILE かじたに・たかゆき●1988年8月28日生まれ。右投左打。180cm90kg。島根県出身。[甲]開星高-横浜・DeNA07[3]-巨人21、23育、23=18年。
【通算成績】1064試合980安打126本塁打441打点162盗塁、打率.270。