2024年で3年目を迎えたジャパンウインターリーグ。11月24日に開幕し、12月17日にリーグ戦の全日程が終了したが、大きな進化を遂げていた。沖縄の地に集まった多様な人材。同リーグの模様をリポートする。 取材・文・写真=中島大輔 
沖縄の地で実戦経験を積んだ楽天育成2年目左腕・古賀
NPB3球団が参加
日本列島の大半が冬の厳寒に包まれた2024年12月中旬、気温20度に達する日もある沖縄では3年目のジャパンウインターリーグ(JWL)が幕を下ろした。
「陽の目を見ない場所に光を、そして野球界の登竜門を沖縄に」
上記のコンセプトを掲げて22年にスタートを切ったJWLは24年、大きな進化を遂げた。鷲崎一誠代表が語る。
「参加選手が増えたことによりレベルが上がり、参加国数も増えたところが一番の進化だと思っています」
23年の10カ国101人から、24年は13カ国143人に増加。日本やアメリカ、韓国、台湾、ベネズエラなど野球が盛んな国だけでなく、欧州のフランスやオーストリア、さらに青年海外協力隊の協力で中米のホンジュラスから選手が送り込まれた。
選手が参加費を払ってエントリーするJWLは23年、独立リーグのスカウトらにアピールする「トライアウト」と社会人選手などの実戦機会を目的とする「アドバンス」に分かれてチーム編成が行われるようになり、さらに24年は新風を吹き込む存在が加わった。
NPBの
西武、楽天、
DeNAが各3、5、2人の選手を派遣したことだ。その一人、楽天の育成投手・
古賀康誠は一軍未登板だが、22年の甲子園で準優勝した下関国際高の左腕エースと言えば思い出すファンもいるだろう。
「岩瀬(
岩瀬仁紀、元
中日)みたいだな」
25年の選手派遣を検討するため、会場のコザしんきんスタジアムを訪れたNPB球団の編成担当者が思わず声を上げた。古賀は肩甲骨周辺の柔らかさを生かしたテークバックが特徴で、武器は岩瀬と同じくスライダーだ。楽天の方針で高卒1年目は体づくりにあて、24年から実戦で投げ始めた左腕は貴重な経験を積めたと話した。
「左バッターのインコースの精度が悪かったけど、実戦で投げながらある程度まとまってきました。今は球速140キロちょっとしか出ていないので、最速150キロくらいを目指せるようにして2月のキャンプをいい状態で迎えたいと思います」
西武から派遣された一人が・・・
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