第97回選抜高校野球大会(3月18日から13日間。準々決勝、準決勝翌日の休養日各1日を含む。雨天順延、阪神甲子園球場)の出場32校を選出する選抜選考委員会は1月24日、大阪市内で行われる。一般選考枠30校のほか、2001年(第73回大会)から導入された特別枠「21世紀枠」は2校が選出される。21世紀枠の九州地区推薦校は離島で地道に活動を続け、悲願の甲子園を目指してきた。 取材・文=前田泰子 写真=上野弘明
※学年表記は2025年4月以降の新学年 
選手21人。全員が壱岐の出身である。マネジャー4人も貴重な戦力だ
あくまでも目指すは夏
高台にある学校のグラウンドからは海が見える。海に沈む夕日の光を受けながら、選手たちはバットを振ってきた。福岡港から2時間20分、佐賀・唐津東港からは1時間40分フェリーに乗って行く壱岐。玄界灘に浮かぶ人口約2万4000人の島は、地元のチームの甲子園出場という「100年に1度」の快挙を待っている。長崎からは4年前、離島の大崎高がセンバツに初出場している。だが、大崎高は離島ながら橋で九州本土とつながっているため、壱岐高が選出されれば、まったくの離島の学校の甲子園出場は長崎で初となる。「評価されて21世紀枠の候補に選んでいただいたことは感謝しよう。ただ選ばれたら本当にラッキーと考えよう。目指すのは夏だからと選手には話をしています」と坂本徹監督は昨秋の九州大会後から夏へ向けての心構えを選手に言い聞かせていた。
昨秋、創部49年目の野球部は過去にない快進撃を見せた。現チームになって初の公式戦となる佐世保市長旗新人大会で準優勝。その1カ月後に始まった長崎県大会では初戦の佐世保南高に12対1で大勝すると、島原中央高、昨夏まで2年連続で夏の甲子園に出場した創成館高、準決勝で大崎高と甲子園出場経験校を次々と破り決勝進出を果たした。海星高との決勝はリードしながら中盤からの失点で逆転を許し4対6で敗れたが、初の九州大会出場を決めた。
初めての九州大会も臆することはなかった。専大熊本高との1回戦を6対3で九州大会初勝利。センバツ出場がかかる準々決勝はエナジックスポーツ高(沖縄)に2対9で7回
コールド負けとなったが、九州8強という堂々の成績。「私としてはもうちょっと、戦えたと思います。もしかしたら選手がプレッシャーとか相手チームからの圧を感じたのかもしれない。それを感じたのはすごく大きな経験になったと思います」。坂本監督は初めての九州大会が、選手の大きな財産になったと振り返る。
21人の選手は全員、島で生まれ育った。「われらが島のチーム」の快進撃に地元の人たちも驚きと喜びに沸いた。誰が言い出したのか「100年に1度の奇跡」と呼ばれるまでに。「それまでは地元は特別なムードはなかったんですけど、野球部を応援したいというムードが高まってきたのは感じています」と、坂本監督も島民の後押しを感じるようになった。
新3年生は黄金世代
1976年夏に海星高のエースとしてチームを長崎県勢最高のベスト4に導き甲子園を席巻した「サッシー」こと
酒井圭一(元
ヤクルト)を生んだ島は、もともと野球熱の高い地区だ。坂本監督は春で赴任6年目を迎えるが、長崎県の教員は必ず3年から6年は離島勤務をしなければならない。家庭の事情などを考え、条件の合う離島の中で最も野球が盛んなのが壱岐だった。波佐見高出身で2年夏にセンターで甲子園に出場した坂本監督は離島勤務なら野球熱の高い壱岐高を希望。「佐世保南の監督のときに何度か壱岐に練習試合で来ていたんです。能力の高い子が結構いるなという印象があったのでここでやれれば、と思ったんです」。希望がかない2020年春に赴任した。
実際に島で生活すると印象どおりだった。「ジュニアで一生懸命されているチームも多いし、保護者の方たちも熱いです。野球人口も多い。離島で1学年で10人以上部員がいるところは、ほかにないです。それに来て分かったんですが、壱岐の子たちは島に残る子が結構、いるんです」。島には中学校が4校、それぞれ軟式野球部がある。硬式のクラブチームはなく皆、軟式野球をやっている。
現在の部員たちは全員地元の中学の軟式野球出身。新3年生は中学3年時に輝かしい実績を作った「黄金世代」だ。部員の中で最多の9人が卒業した勝本中は九州中学校体育大会で優勝し全国大会に出場した。エース・浦上脩吾ら8人が卒業した郷ノ浦中は・・・
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