中日、DeNA、オリックスと日本で8年プレーし、主要打撃3タイトルすべてを獲得したトニ・ブランコが現地時間4月8日(日本時間9日)、ドミニカ共和国のナイトクラブで事故死した。(※文中敬称略) 
中日では主軸として2010、11年の連覇に貢献。ケタ外れのパワーを誇った
事故はドミニカ共和国の首都サントドミンゴのナイトクラブで起こった。現地時間4月8日(日本時間9日)の午前1時前ごろ、コンサートの最中に突然、屋根が崩落。少なくとも200人以上が死亡、500人以上がケガを負った。トニ・ブランコは寸前で崩落を察知し、同席していた仲間の
エステバン・ヘルマン(元
西武ほか)を体ごと押し倒した。ヘルマンは一命を取り留めたものの、ブランコは助からなかった。アストロズなどで活躍して通算59勝を記録したオクタビオ・ドーテル、ドミニカ共和国で州知事を務めるネルシー・クルーズも死亡。ドミニカ共和国政府はこの悲劇を受けて、4月8日から10日までの3日間を国葬期間とした。
ブランコは
タイロン・ウッズに代わる四番として2009年に中日に入団。開幕戦から四番に座って初打席初本塁打。すさまじいパワーで本拠地の広いナゴヤドームをものともせず、150メートル級の本塁打を連発。いきなり本塁打と打点の打撃2冠を獲得した。中日で4年プレーしたのち、13年にDeNAへ移籍。いきなり球団新記録の136打点をマークして打点王と首位打者に輝いた。以降は度重なる肉離れもあって成績は下降。15年に移籍したオリックスでは以前のような輝きは見られず、翌16年を最後に日本球界に別れを告げた。

DeNA時代。中畑清監督[左]と
ブランコの長男でパイレーツ傘下でプレーするトニ・ブランコ・ジュニアは、インスタグラムに「お父さん、神様が良い場所にお導きください」と投稿。いつも明るく、日本ではたたき上げ、練習熱心で真面目だった心優しき大砲。44歳の突然の事故死は、あまりに切ない。
中日・井上一樹監督 「本当に驚いている。強力な助っ人だった。性格も良く、日本になじもうという思いを強く持っていた」
DeNA・三浦大輔監督 「見た目はがっちりしているけど、本当に心優しかった。残念でならない」
PROFILE TONY BLANCO●1980年11月10日生まれ。ドミニカ共和国出身。188cm102kg。右投右打。2005年にメジャーデビューを果たし、09年に中日入団。1年目から本塁打王と打点王の2冠に輝く。13年にDeNAに移籍し、同年は打点王と首位打者。15年にオリックスに移籍して翌16年退団。NPB通算成績は750試合出場、打率.272、725安打、181本塁打、542打点、4盗塁。