今年でプロ24年目を迎えるヤクルトの石川雅規。今年で45歳となったが、常に進化を追い求める姿勢は変わらない。昨季まで積み上げた白星は186。200勝も大きなモチベーションだ。歩みを止めない“小さな大エース”。ヤクルトを愛するノンフィクションライターの長谷川晶一氏が背番号19に密着する。 50歳まで現役を続けた球史に残る左腕

50歳まで現役を続け、通算219勝をマークした山本昌
石川雅規が山本昌を尊敬しているのは有名な話だ。クラブハウスのロッカーには、敬愛する「昌さん」の年度別の成績表が貼ってあり、「昌さんが45歳のときには何勝したのだろう?」と一目瞭然でわかるようになっている。
「石川くんが……、あっ、僕は彼のことを《雅くん》って呼んでいるんですけど、雅くんが僕のことを目標にしてくれているというのは知っていたので、現役の頃に僕から彼に声をかけたのがきっかけで会話を交わすようになりました。それで、ある年には僕から誘って一緒に自主トレをしたこともありましたね」
通算219勝を記録し、50歳まで現役を続けた球史に残る左腕、山本昌。45歳となった今も現役を続ける石川について解説する。
「彼の長所はいくつもあります。まず、どんなボールでもストライクを取れること。いろいろな球種を投げられること。そのボールをいろいろな速度域で投げられること。シンカーという勝負になるボールを持っていること。さらに、ケガをしない身体を持ち、自分なりのトレーニング理論を持ち、そして何よりも折れない心を持っていること……」
同じ投手目線、そして評論家目線で見て、「一体、石川は何が凄いのか?」「どうして、45歳の現在まで現役を続けることができているのか?」と尋ねると、山本の口からは、次から次へとその理由が述べられた。「なるほど」と感心していると、「そして、最も大きな理由は……」と、さらに続けた。
「……本当に彼がすごいのは肩、ヒジの故障がないこと。それは身体が強いというのも一つの理由かもしれないけど、何よりもメカニックが優れていることなんです。肩が非常によく回る。どこも詰まることなく腕が振れる。投げ終わった後にしっかりと親指が下を向いている理想的なフォームで投げている。小さいときの指導者がよかったのか、天性のものなのかはわからないけれど、日本でも有数の、いや、世界でもトップクラスの、身体に負担のないピッチングをしています」
べた褒めだった。石川は「昌さん」を敬い、山本もまた「雅くん」を温かい目で見守っている。両者の良好な関係性がよく伝わってくるやり取りが続いた。
「引け目を感じるのなら、早く勝ちなさい」

「昌さん」と呼び、山本昌を慕っている石川
両者の交流について話を聞いていると、「2〜3年くらい前だったかな? 彼が悩んでいるように感じたことがあったんです……」と山本は口にした。
「3年前だったかな? 試合でノックアウトされて、雅くんが二軍に落ちたときのことでした。少し気になったので、僕から電話をしました。会話をしていると、言葉の端々に“もう、辞めなければいけないのかな?”という雰囲気が感じられました。その気持ちは僕にもよく理解できたので、“いやいや、雅くん。自分が思っているほど、周りの人たちは辞めてほしいとは思っていないんだよ”って、僕自身が経験したこと、かつて感じていたことを伝えたんです」
40代を過ぎ、それまでのように勝ち星が手に入らなくなり始めた頃、山本の目に飛び込んできたのは、さまざまな批判の言葉だった。
「雅くんもそうだと思うけど、“監督やコーチが気を遣って大変だ”とか、“若い選手のチャンスを奪っている”とか、“球団に迷惑をかけている”とか、“記録のためだけに投げ続けている”とか、何かと批判的な意見ばかり目に入ったり、耳にしたりするようになるんです。ましてや今はSNSで、いろいろな意見が発せられる時代だからなおさら」
一拍の間をおいて、山本は続ける。
「でもね、確かに批判的な意見ばかり目立つけど、実際はそんなことはないんです。自分が思っているよりもずっと、多くの人たちが“頑張れ、応援しているぞ”と思っているんです。みんなが彼のことを応援しているんです。だから、まずはそのことを説明した上で、さらに厳しくハッキリと伝えました」
山本はどんなことを「厳しくハッキリと」、石川に伝えたのか?
「周りに気を遣わせたくないのなら、早く200勝達成しなさい。引け目を感じるぐらいなら、勝ちなさい。雅くんが現役を続けている間、その思いはずっと続くんだから、引け目を感じる暇があったら、勝つしかないんだから」
自らも同じ道を歩んできた先達だからこそ口にすることのできる含蓄のある言葉だった。そしてそれは、今の石川にとってもっとも必要なアドバイスでもあった。
「石にかじりついてでも200勝しなければいけない」
50歳まで現役を続けた山本だからこそ、どうしても尋ねたいことがあった。長年にわたって現役にこだわり続けたレジェンドは、いつ、どのようなきっかけで引退を決意したのか? どんな理由でユニファームを脱ぐ決意をしたのか?
「僕は元々、辞めるのが怖かったんです。引退した後、自分に何ができるのかがまったくイメージできなかったから。指導者、解説者、それとも会社員、自分に何ができるのかがまったくわからなかった。だから現役を続けていました。それが大きな理由でした。でも、それでも辞める決意をしたのは、客観的に見て50歳で0勝のピッチャーはチームに必要ない。そう思えたからです」
2015年シーズン、山本は2試合に登板して未勝利に終わっている。そしてこの年をもってチーム
メイトである大ベテランの谷繫元信、
和田一浩、そして
小笠原道大がそろって引退を決めたことも、決断の後押しとなった。
「彼らは先に引退発表を済ませていて、最終戦ではすでにロッカーが片づけられていました。ロッカーを見渡してみると、すでにその3人の姿はないし、選手たちもかなり若返っていました。そのとき、“若い選手の邪魔をしちゃいけないな”って心から思えました。《世界最高齢勝利》という記録は達成できなかったけど、それでもやるべきことはすべてやった。素直にそう思えましたから」
ここまで言った後、「でも、雅くんの場合は違う」と、山本は強い口調で続けた。
「でも、雅くんの場合は、まだまだやり残したことがたくさんあります。僕はすべてをやり切ってユニファームを脱いだけど、雅くんは石にかじりついてでも200勝をしなければいけない。200勝を達成する前に辞めたら、絶対に後悔する。それは本人だけじゃなく、周りの人にも後悔させることになってしまう。だから、自分のため、みんなのためにも絶対に200勝を達成しなければいけない。まずは残り12勝を早く達成して、みんなをラクにさせてあげなければいけないんです」
彼の口からは何度も、「自分のためではなく、周りの人のために」という言葉が聞かれた。そしてそれは、石川がいつも口にしている言葉でもある。山本は続ける。
「僕はよく思うんです。“自分のためよりも、人のための方が頑張ることができる”って。現役晩年、多くの人から、“昌さんの姿を見ていると元気が出る、勇気が出る”って言われました。僕は昭和40年生まれで、
古田敦也、
吉井理人、
渡辺久信ら、同級生にはそうそうたるメンバーがいます。だけど、《昭和40年会》のメンバーもみんな引退してしまって、僕が最後の一人でした。だから、“彼らの分も頑張るんだ”というのがモチベーションになりました。雅くんも、きっとそんな思いでマウンドに立っているんじゃないのかな?」
まさに、その言葉通りだった。近年の石川は、常々「みんなのために」と口にしている。「石にかじりついてでも200勝しろ」と鼓舞する大先輩が通ってきた道を、石川は今、歩き続けている。
「雅くんはまだまだやり切っていない。やることをすべてやり切ってから、不安になったり、弱気になったりしなさい。いろいろ思うことはあるだろうけど、まずは早く200勝を達成して、そこから悩んだり、不安になったりすればいいんです」
それは、誰にもできないアドバイスであり、心からの思いのこもったエールだった。敬愛する大先輩のために、支えてくれる周囲の人のために、そしてファンのため、自分のために、石川はさらなる現役ロードを歩み続ける――。
(第四十二回に続く)
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