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第96回都市対抗野球大会【西関東二次予選】

【第96回都市対抗野球大会/西関東二次予選】苦境に立たされてもたくましく前へ進む日産自動車の“魂” 再び動き出した熱狂の時間

 

2009年を最後に活動休止していた日産自動車が、16年ぶりに再開。都市対抗二次予選に挑んだが、東芝との第2代表決定戦で惜敗した。敗退の2日前には、活動拠点である追浜工場(横須賀市)での車両生産を、27年度限りで終了することが発表された。野球部は同場所で存続。白球を通じて、会社を活気づけていく。
取材・文=佐々木亨 写真=大賀章好

日産自動車は東芝との第2代表決定戦を2対7で敗退。主将・石毛[右から2番目]は、大勢の観衆で埋まったスタンドに挨拶した


「ブルーバード」が象徴


 日産自動車の伊藤祐樹監督(福井工大)は“その時”を待っていた多くの観客、応援してくれる従業員の姿を柔らかな表情で見つめた。7月2日の等々力球場だ。第96回都市対抗野球大会西関東二次予選の初戦(甲斐府中クラブ戦)で手にした勝利は、16年ぶりに復活した野球部にとって“公式戦初勝利”でもあった。

「これだけのお客さん、日産自動車を応援してくださる方々に勝利を届けられたというのが大きかったと思います。今までの50年の歴史プラス、これから長く続く野球部のスタートだと思っています。休部になる前の野球を継承した今日の戦いだったのかなあ、と」

 試合後の伊藤監督は、1959年創部(2010〜24年は活動休止)で都市対抗優勝2回、日本選手権優勝1回を誇る野球部の「歴史」と、新たに動き出したチームの「スタート」を強調した。ユニフォームは、日産のコーポレートカラーで、活動拠点となる横須賀市の市章にも使われるブルーを基調とする。かつて都市対抗と日本選手権で優勝した際のデザインで、胸にはバットを掴んで飛び立つ青い鳥。野球部の創部年に発売され、横須賀市追浜工場で長きに渡って量産された日産のレジェンドカーである「ブルーバード」が刻まれている。伊藤監督が再び勝利をかみ締める。

「私の思い入れもあって、ユニフォームは青を基調としたものにしていただいた中、大舞台で勝利できて感慨深いです」

「ミスター日産」と言われた伊藤監督が、16年ぶり復活のチームを指揮。伝統のスタイルをしっかり継承した


「見えない力」が後押し


 7月8日に行われた東芝との第1代表トーナメント準決勝では、初戦にも増して多くの応援者が横浜スタジアムに詰めかけた。「こんなに大勢の方に応援していただいて、私が現役時代もあまり見たことがなかった光景でした」と伊藤監督は目を細める。日産側である一塁側スタンドの熱が最高潮に達したのは5回裏だ。一番・宮川怜(愛知工大)が内野の失策で出塁。二番・朝岡慶(名城大)と三番・角田(駒大)の連打で満塁として、四番・石飛智洋(天理大)が右中間へ満塁弾を放つ。伊藤監督が現役時代につけていた背番号2を継承する石飛の同点弾に、目に見えない力を感じずにはいられなかった。

伊藤監督が着けた背番号『2』を継承する石飛は、打の軸でけん引した


 歓喜に沸く直前、三塁ベースコーチを務める四之宮洋介コーチ(青学大)は、三塁走者だった宮川に語りかけたという。

「宮川には『これ、応援の力やな』って。本当にスタンドの力もお借りしながら、選手たちは成長していて……。応援してくださるみなさんが思いを持って野球部と接してくれている。そういう力もあって、あの満塁ホームランが生まれたんだと思います」

 最後は粘るも惜敗に終わるのだが、日産野球部の復活を強烈に印象づける東芝戦だった。そして、迎えた西関東予選の最終戦。再び東芝とのマッチアップとなった第2代表決定戦では、日産側の三塁スタンドには約3200人の従業員やファンが詰めかけた。1回裏、宮川が左翼線二塁打でチャンスメークすると、朝岡の中前適時打で1点を先制する。スタンドの後押しを受けた日産の勢いが、東芝をのみ込む。3回表に逆転を許したが、4回裏には石飛の右中間二塁打、六番・宮原光夫(創価大)の右前安打で同点に追いつく。せめぎ合いが続く都市対抗予選の独特の空気感が、横浜スタジアムを包み込む。だが、最後は地力に勝る東芝に5点差をつけられて、日産は“復活の予選”を終えた。

第2代表決定戦の日産側スタンドには約3200人の“応援団”が詰めかけた。野球部は会社の光である


数値では示せない熱量


 母体の経営は厳しく、活動拠点である追浜工場(横須賀市)での車両生産を2027年度限りで終了することが発表されたのは第2代表決定戦の2日前。結果的に雨天順延で日程が変更されるのだが、もともと第2代表決定戦が予定されていた7月15日に、選手たちは田川博之GMから現状を説明され、その事実を知ることになる。工場を除く総合研究所やテストコースなどの施設は存続して、野球部の活動もこのまま続けるというものだった。主将の石毛大地(筑波大)が語る。

「目の前の試合に集中してほしいと言っていただきました。野球を通じて、従業員の方に元気を与えることが僕たちの使命だと思っています」

 本大会の代表権を逃したとはいえ、今夏の都市対抗予選を通して、確かにそのきっかけを築くことができたのではないだろうか。大卒1年目の選手が大半を占める中で、石毛はチームで唯一の転籍選手だ。昨年まで茨城日産でプレーして、本社の野球部復活とともに移ってきた。主将にとっても、初めて味わう都市対抗の西関東予選。復活年に代表決定戦まで進んだチームを石毛はこう見ている。

「最初は選手22人、それぞれが違う環境で野球をやってきてバラバラだった。でも、伊藤監督、四之宮コーチ、宮田仁コーチ(国学院大)を中心に首脳陣の方々が引っ張ってくれて日産の野球を徐々に作り上げてきました」

 成長するチームの姿、その根底にある歴史を継承した「日産野球部」の戦いを多くの人々に見せることができた夏だったと言える。伊藤監督は言うのだ。

「経営状況が厳しい中でも、軸足をしっかりと持ってやってきましたし、いまこうして拠点とする工場の報道はありますが、われわれができることは野球を通じて会社を元気にすることだと思っています。まだまだ野球は続くので、今日の負けを糧に、厳しい戦いを勝ち抜かなければいけない都市対抗予選の経験を生かしてステップアップしていきたい」

 そして、「強い日産自動車を作っていきたい」とも。

 休部する以前の時代、日産野球部のマネジャーを歴任して、復活に際しては野球部OB会の活動にも尽力してチームを支え続ける鳥海健次郎さんは言う。

「今回、スタンドに詰めかけてくださった方々の姿を見て涙が出ました。野球部の頑張りですごく盛り上がった。それは事実です。スタンドで『日産、いこうよ!』と叫ぶ。心の底にある魂というか、数値では表せないものが帰ってきたな、と。そういったものは、社員の方々の活気につながると思います」

 2009年の活動休止から16年ぶりの夏。苦境に立たされても、たくましく前へ進む日産野球部の姿があった。止まっていた時間は再び、新たな熱を持って動き出している。
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