今年でプロ24年目を迎えるヤクルトの石川雅規。今年で45歳となったが、常に進化を追い求める姿勢は変わらない。昨季まで積み上げた白星は186。200勝も大きなモチベーションだ。歩みを止めない“小さな大エース”。ヤクルトを愛するノンフィクションライターの長谷川晶一氏が背番号19に密着する。 二軍生活の中で、考えていたこと

8月7日の巨人戦では勝利を得られなかったが6回3安打2失点の好投を見せた
2025(令和7年)7月――。石川雅規は猛暑の埼玉・戸田グラウンドで黙々と練習していた。プロ24年目の大ベテランが10代の若手選手たちとともに汗を流している。しかし、そこに悲壮感はない。石川の口元から白い歯がこぼれる。
「暑いですよ、本当に。でも、この年になっても野球ができるんですよ。45歳になっても今もなおユニフォームを着て、高校球児のように炎天下で白球を追いかけることができるんですよ。こんな幸せなことはないですよ」
2001(平成13)年、自由獲得枠でプロ入りした。ルーキーイヤーには新人王を獲得し、その後もスワローズのエースとして24年にわたって神宮球場のマウンドを守り続けてきた男が、今はファームのグラウンドで汗と泥にまみれている。
「僕は若い頃からずっと、一軍の舞台で投げさせてもらってきました。だから、“絶対にファームからのし上がってやろう”と、あまり考えたことがないまま、ここまでの野球人生を過ごしてきたのかもしれない。今はファームから一軍の舞台を目指し、そこで結果を出すために、厳しい競争の中、数少ないチャンスをものにしようと頑張っています。ある意味、入団以来、僕はそんな思いを知らないふりをして、目を背けて、やって来ていたんだと、今あらためて感じています」
かつて、22歳年下の
内山壮真とのバッテリーが「親子キャッチボール」と称されたことがあった。そして今では26歳下の
鈴木叶とブルペンに入る日々を過ごしている。年齢差も、キャリアも、もちろん実績も大きく異なる若者たちとともに、石川は慣れ親しんだ神宮球場のマウンドを目指していた。
「長年、現役を続けていると、どうしても固定観念のようなものが身についてしまうんです。でも、若いキャッチャーとバッテリーを組むと、“おっ、そう来るか”という新鮮な発見がありますね。僕は右バッターのインコースにスライダーを投げることは少ないんですけど、彼らはそのサインを出してくる。“あっ、このボールに対してバッターはこんな反応をするんだ”なんて気づくこともあります。そういう経験はやっぱり楽しいですよ」
二軍生活ですっかり日焼けした顔で石川は笑った。
「ここは自分がいたい場所でも、いるべき場所でもないと思っています。それでも、僕にできることは、その場、その場でベストを尽くすこと。今はこの場所で、一軍で勝利するために全力を尽くすだけです」
「このまま終わってたまるか!」という思いを原動力に

久しぶりの一軍での先発となった7月12日の阪神戦は4回途中で無念の降板
その数日前となる7月12日、久々に訪れた先発マウンドは甲子園球場だった。阪神タイガースを相手に3回までを無失点に抑えた。4回表に味方が2点を挙げ、「さぁ、ここからだ」という4回裏に連続タイムリーヒットを浴びて降板を余儀なくされた。そしてその直後、石川は二軍降格を告げられた。
「6月の交流戦では投げるチャンスをもらえなかった。いつも、交流戦から波に乗っていけるイメージを持っていたので、本当に悔しかった。そして、それが現在の自分の立ち位置だということもわかっています。だから、このタイガース戦は“よし、やってやるぞ”と思っていたんですけど……」
4回裏、先頭の
中野拓夢にヒットを打たれ、続く
森下翔太にフォアボールを与えて傷口を広げてしまった。このフォアボールこそ、石川にとって悔やんでも悔やみきれない一球となった。
「中野選手のヒットはしょうがないとして、森下選手へのフォアボールが、あの日のすべてでした。もし、あの場面でホームランを打たれたとしても、“まだ同点じゃないか”と思うことができずに、いろいろ考え過ぎてカウントを悪くして、結局はすべてが後手後手に回ってしまった。もちろんマウンドではビビってなんかいなかったつもりです。でも、“厳しいところに、厳しいところに”と意識しすぎた結果、カウントを悪くしてしまった。周りから見れば、“石川はビビっていた”と思われても仕方がない投球でした」
今季前半は、次回登板日が決まっていた上での投げ抹消だった。しかし今回は、次回登板も決まっていない状態での二軍降格となった。出口の見えない日々が続く。もちろん、不安、そして焦りが募ることもあった。
「前から話しているように、ここ数年はいつも“これが最後の登板になるかもしれない”という思いでマウンドに上がっています。だから今回も、“もう一軍には上がれないのかな”と考えたこともあります。一日の中でも、気持ちが前向きになったり、落ち込んだり、いろいろです。心が弱っているときには、実はめちゃめちゃネガティブなことを考えることだってありますよ……」
珍しく弱気な発言が飛び出した。しばらくの間をおいて、石川は続ける。その口調は、とても強いものだった。
「人間が頑張れる原動力って、《怒り》じゃないかなって考えることがあるんです。誤解してほしくないのは、特定の誰かに対する怒りじゃないですよ。僕の場合は、うまくいかないことに対する怒りと言えばいいのかな? “なにくそ”っていう思いがとても強いんです。“このまま終わってたまるか!”という怒りなんです。だって、このまま辞めたら、本当にカッコ悪いじゃないですか」
東京ドームで田中将大と投げ合う
前回の本連載で紹介したように、石川が尊敬する
山本昌は「確かに批判的な意見ばかり目立つけど、実際はそんなことはないんです。自分が思っているよりもずっと、多くの人たちが“頑張れ、応援しているぞ”と思っているんです」と言った。二軍暮らしが長くなった今こそ、この言葉が石川の胸に強く響く。
「年齢を重ねるごとに、“本当に多くの人に応援されているんだな”ということは強く感じます。もちろんこのご時世、SNS等でネガティブな意見があるのもわかります。ポジティブに考えると、わざわざ自分の時間を割いてまで、文字を書いてくれている、それはある意味では形を変えた応援なのかもしれない。本当に期待していないのであれば無視するはずだから。せめて、そう思っていたいですね(苦笑)」
ここまで話して、石川は小さく笑った。かつて、山本昌に言われた言葉を思い出したのだという。
「以前、昌さんに言われました。“ネットでは、いろいろな書き込みがあるけど、そんなことは気にせずに頑張れ”って。でも当時、僕はネットの書き込みなどは見ていなかったんです(笑)。だから、昌さんの言葉を聞いて、“えっ、そんなことを言われているの?”って、そりゃ、そうか! と知りました(笑)」
多くの人に支えられて、ファームでの研鑽の日々を過ごした。そしてついに、石川に一軍マウンドのチャンスが訪れた。8月7日、東京ドーム。読売ジャイアンツとの一戦。相手は
田中将大である。この日、両ベテラン投手は粘り強いピッチングを見せたものの、ともに白星を手にすることはできなかった。

8月7日の巨人戦では投手では初の「入団以来24年連続安打」を達成した
それでも石川は6回を投げて被安打3、2失点に抑える好投を見せた。灼熱の戸田で過ごした日々は、決して無駄ではなかったことを自らの左腕で証明したのである。ちなみにこの日は「入団以来24年連続安打」も記録した。
「6回で降板したことも、勝てなかったことも、やっぱり悔しいです。でも、チームが勝つことができたし、次に繋がる投球もできたので、また次回登板に向けて全力を尽くすだけです」
今回のようなピッチングを続けていれば、近いうちに必ず登板機会が訪れる。必ず白星を手にする日がやってくる。今はただ、そう信じて残りシーズンを全力で戦うだけだ――。
(第四十三回に続く)
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