7月18日、都内の自宅で大橋穣さんが死去。阪急黄金時代の立役者の一人で史上最高の遊撃手とも言われる。本当に突然の訃報だった。 文=井口英規 写真=BBM
※文中一部敬称略 
グラブにはこだわり「誰にも触らせなかった」と言い、「バットはそうでもなかったです」と笑った
伝説となった守備
「一歩目をいかに早くするかいつも考えていました。今はポンと飛ぶけど、あれは絶対にしなかった。その分、遅れますからね」
7月3日の取材だった。
「ボールはグラブに入ったときは右手にある感覚ですね」
柔らかく素早く腕を動かす。往時の雄姿が重なった。
強肩を生かした守備範囲の広さで史上最高の遊撃手とも言われ、阪急時代の1972年にできたダイヤモンドグラブ賞を7年連続で獲得した。
伝説はたくさんある。雨の西宮球場でのショートゴロで、捕球後、ズボンで2度ボールの泥を拭ってから投げ、走者が「俺をバカにするのか」と怒った。外野フェンス際まで下がって守り、
巨人・
王貞治の110メートル超の打球をショートフライにした。極端に守備位置が深かったので守りやすいようにと西宮球場のショート後方の芝が2メートル刈られた……。
すべて本当の話だ。ただ、アクロバティックな動きはほとんどなかった。とにかく早い動き出しで難ゴロも楽々捕り、瞬時に持ち替えてからの一塁への送球は丁寧で正確だった。
日大三高から亜大に進み、当時の東都大学リーグ記録の20本塁打を放った。空前の豊作と語り継がれる68年秋のドラフトでは1位で東映に指名され、1年目からショートの定位置をつかむ。
大下剛史との二遊間のコンビプレーで評判となったが、誤算は打撃だ。まったくと言っていいほど打てなかった。
「チームに長打を打つバッターはいっぱいいるからと、バットを短く持って塁に出ることを考えろと言われて、使ったことのないタイカップのバットでやっていたらバッティングが分からなくなったんですよ」
当時の東映の主力は
張本勲、
大杉勝男ら。暴れん坊と言われた豪快なチームだったが、成績は低迷。チームより個人の成績という雰囲気もあり、ずっと物足りなさがあった。
トレードで阪急へ
転機は3年目のオフ、71年の日本シリーズのあとだ。巨人に守備の差で負けたと感じた阪急の
西本幸雄監督が動き、トレードが決まった。
「うれしかったですね。当時の阪急は強かったから。やっぱり勝たないと面白くありません」
阪急の野球は細かく、練習も厳しかったが、それもまた刺激的で心地よかった。1年目から主力として優勝に貢献し、巨人との日本シリーズに出場。「ゲーム中、セカンド走者となった長嶋(
長嶋茂雄)さんに『大橋君、お客さん入るとうれしいだろ』と言われて、なんだかうれしくなっちゃった。あれじゃ勝てませんよね」と笑う。もともと大の巨人ファン。ONは神様のようなものだった。
阪急でも打てなかったが、「阪急では打つよりは守りと割り切りました。私が打たなくてもほかが打つチームでしたから。上田さんからも『勝っているうちは絶対代えない』と言ってもらいました」。西本のあと74年から監督となった
上田利治だ。
「上田さんに教わったことはたくさんあります。私も上田さんにこうしたほうがいいんじゃないかと言ったりしました。守備もそうですが、エンドランとか小細工をするのはたいてい、六、七番の私ですしね」
上田監督の下での75年からのリーグ4連覇、3年連続日本一を支えたのは圧巻の守備力だった。大橋はその象徴となった選手だ。
81年のキャンプ終盤、右肩を骨折し翌82年限りで引退。コーチとなった。名選手必ずしも名コーチならずと言われるが、大橋さんは違う。阪急コーチ時代の
ブーマーが「大橋さんに教えられたらみんなうまくなる」と言い、
ヤクルトコーチ時代の教え子・
岩村明憲は「守備の恩師です」と感謝する。
「教えることは難しいですよ。打撃はみんな好きだけど、守りは面倒くさがる選手もいます。やればやるほどうまくなるからもったいないんですけどね。我慢も必要だし、やっぱり執念というのか、その選手をなんとかうまくさせたいという気持ちじゃないですかね。相手もいい加減に教えていたら分かりますから」
最後、「来年は阪急90年です。また取材をお願いします」と言って別れた。後日、確認したいことがあり大橋さんの携帯に電話をすると、涙声の娘さんが出て「きょうが葬儀でした」と言われ、驚く。夫人と話すと、特に持病はなく、「熱中症ではないかと言われた」という。
PROFILE おおはし・ゆたか●1946年5月29日生まれ。2025年7月18日死去。東京都出身。日大三高から亜大を経てドラフト1位で69年に東映入団。72年に阪急に移籍し、同年から7年連続ダイヤモンドグラブ(ゴールデン・グラブ)賞、5年連続ベストナイン。82年限りで現役引退。阪急・
オリックス、
中日、ヤクルト、さらに台湾、韓国球界でも指導者となった。通算成績1372試合、739安打、96本塁打、311打点、87盗塁、打率.210。